修行(雲水の生活)

庭詰
にわづめ

  冬扇 忘れまいぞや一大事
 扇子は夏に使われ、冬には無用というのが一般の通り相場である。が、禅僧の挨拶には扇は四季を通じて欠くことができない。座ると、自分の膝頭の前に扇を横にして、その上に頭を下げる。
 一大事。それは人生の最大の目的。つまり、人間はどこから生まれ、どこへ死んでゆくのか、という宿題に、桶の底がぶち抜けたように明確な答えを出さなくてはならないのだ。これを一大事の因縁という。扇子と一大事因縁はいつでも、どこでも、寝ても覚めても忘れてはならないという警句である。
渡世人の挨拶は「仁義をきる」というそうだが、雲水にもまた紋切り型の挨拶がある。目的の道場に着くと、玄関の式台の一隅に腰を掛け、文庫を自分の前にして、その上に両掌をそろえて、低頭伏顔(ていとうふくがん)し、「タノミマショーッ」と来意を告げる。このときから、入門第一次試験ともいうべき庭詰が始まる。彼は用意して来た掛搭(かとう・入門)願書も提出しておかなければならない。
 しばらくの間がおかれて、重々しく「ドーレー」という応答とともに、取り次ぎの僧が現れる。彼はていねいではあるが、きっぱりとした言葉で掛錫(かしゃく・入門)を拒絶する。実にていねい無礼そのものである。
 拒絶の理由は、道場の満員が第一にあげられる。また、この道場は規矩(きく・規律)が厳しいので、他の道場へ赴かれたいなどと断られる。しかし、これらの拒絶の口上は建前であって本音ではない。もしも雲水がこの断りを真に受けて辞し去ったとしたら、彼の掛錫する僧堂はどこにもないだろう。どの僧堂へ行っても、同様の拒絶にあうからである。
 収り次ぎの僧は、この拒絶を与えるとさっさと引きこんでしまうのだが、行脚憎は、初めにとったのと同じ姿勢で、ひたすら懇願をつづける以外はない。一人事因縁のために身命をなげうつ決心をますます強固にして、庭詰に入る。
 このごろは、目的貫徹の手段に「座り込み」というのがあるが、座り込みの家元は禅僧である。叩かれても、おどされても、じっと座り込んで動かないのが、庭詰という一種の座り込みである。
 掛錫(入門)を許されるまでは、一種の強制姿勢で、ひたすらに懇願する。その一日は長く、からだの節々まで痛む。石の上にも三年というが、忍辱(にんにく・忍耐)の生活体験なくしては、とうてい三昧無礙(さんまいむげ)の境地には至り得ない。
あれから十時間、午後四時、静かな足音が聞こえてきた。そして、重々しく低い声で、「ご投宿を」といわれた。案内の雲水が、肩からはずした文庫を持ってくれて、内に招じ入れ、小さな部屋に通された。
 この部屋を旦過寮(たんがりょう)という。旦(あさ)になれば去るという意味である。出された投宿帳に授業寺(じゅごうじ・師匠の寺)の住所とみずからの氏名を墨書し、押しいただいて返す。投宿帳の表紙には明治○年起と記されている。有名無名の先輩たちも、この部屋で初行脚(はつあんぎゃ)の一夜を過ごしたかと思うと感無量である。
 ていねいな言葉や動作とは反対に、温かい寝床は望むべくもない。複子(ふくす・荷物)を前に結跏面壁(けっかめんぺき)して坐り、夜明けを待つのである。
 午前四時、朝課(ちょうか・朝のおつとめ)、粥座(しゅくざ・朝食)が終わると、昨日の雲水が来て、渋茶を一杯ふるまってくれ、「ご自由にご出立を」との一言を残して消える。
 そこで、ふたたび草鞋(わらじ)の紐を締め、文庫を肩にして玄関に行き、あらためて「タノミマショーッ」と声をかけ、昨日と同じ姿勢で入門嘆願(庭詰第二日)をする。もはや、取り次ぎの雲水は出て釆ない。
 今の時代にも、こんな浮き世離れした、禅僧を育てる実地教育が行なわれていることは、多くの人の知らないところである。