法 話

でんでんむしのかなしみ
書き下ろし

岩手県 ・慈恩寺住職  古山敬光

myoshin1506a.jpg 「この世において、どんな人にもなしとげられないことが五つある。一つには老いゆく身でありながら老いないということ。二つには病む身でありながら、病まないということ。三つには、死すべきで身でありながら、死なないということ。四つには、滅ぶべきでありながら、滅びないということ。五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということである」(仏教聖典より)。
 
 私たちは、生まれることからしても、男性に、女性にと願いが叶って生まれた人はいるのでしょうか。歳を取りたくない、いつまでも若く。病気もしたくない、挙句の果てには、できたら死にたくない。何もかも嫌だ、嫌だと、100%思い通りにならないことを思い通りにしようとすると、そこへジワジワと苦しみが押し寄せてきます。
 生まれる時も「おまかせ」、老いていくのも「おまかせ」、健康を損ねた時も「おまかせ」、そして、命の使用期限が切れるのも「おまかせ」・・・・・・と、どうにもならないことは「おまかせ」するしかありません。
 このどうにもならないことはとても悲しいことでもあります。しかし、この世に生を受けた以上は背負って生きていかなければならないのです。あのカタツムリが殻を一生背負って生きていくように。
 新美南吉作「でんでんむしのかなしみ」のあらすじです。

 ある日、でんでんむしは「自分の殻の中には悲しみしか詰まっていない」ということにうっかり気付き「もう生きていけない」と嘆く。そこで別のでんでんむしにその話をするが「私の殻も悲しみしか詰まっていない」と言い、また別のでんでんむしも同じことを言った。そして最初のでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で堪えていくしかない」と嘆くのをやめた。

 そうです、悲しみ、苦しみ、悩みは誰もが背負っています。その荷を軽く感じるか重く感じるかは自分次第です。出来るだけ荷を軽くして一度限りの人生を楽しみましょう。