法 話

寒梅のこころ
書き下ろし

長野県 ・護国寺住職  杉田寛仁

myoshin1601b.jpg 寒梅は、まだ寒い春先に咲きます。迎春といって、1月になれば春を迎えるといいますから、早い所では、もう咲いている所もあります。
 私は静岡で修行致しましたが、信州と違い、3年ほどの修行期間で、雪の降ったのを見たのは一度くらいで、しかも降るというよりは風に舞っている感じで、とてもあたたかな所でした。
 僧堂の本堂の裏手に寒梅があって、1月には赤い花を咲かせていました。厳しい修行の最中にそんな花を見ると、なんだかこの世のものとは思えず、つい立ち止まってその美しさに我を忘れる、そんな気持ちになりました。
 人間の人生でいえば寒さは人生の厳しさであり、苦しみかもしれません。そんな中でも赤いきれいな花を咲かせる。そんな優れた生き方を、あの寒梅の花に重ね合わすことができます。
 今年1年、おそらく、さまざまなことが起きるでしょう。それは幸せであったり成功であったり、また苦しみや悲しみの出来事もあるかもしれません。しかし、どんなことが起こったとしても、その場で、その時に、自分の花を咲かせることができます。苦しいときに咲く自分の花は、あの寒梅の花のように、人を立ち止まらせてきれいと言わせるほど、人生の尊い花ではないかと思います。
 その花を咲かせるのは大変かもしれません。でも心の内に、必ず幸せの花が咲くと念じていれば、その自分という花のつぼみが少しずつ膨らんでいることになります。そして負けず強く生きていけば、必ず困難を乗り越え、幸せの花を咲かせるときがきます。
 寒梅は常に、大地から栄養を取り、太陽の光を受けて自分を大きくし、花を咲かそうとしています。そのように、私たちも適度な運動と食事をいただき、この体を健康に保つとともに、教えという光を常に受け、心も健康で力強く生きていけるように、人としての学びを怠らないことです。
 健康な体と健康な心を作り、どんなことがあっても、自分という花を咲かせられると念じ、前向きに生きていくのです。
 きっと、寒梅のような美しい花が咲きます。