法 話

月に手を伸ばせ!?
書き下ろし

山梨県 ・義雲院住職  小澤泰崇

 秋に月あり! 満月の夜は、その美しさに思わず月に手を伸ばしてみたくなります。

 かつて、イギリスのロック歌手ジョー・ストラマーが「月に手を伸ばせってのが俺の信条だ!」という言葉を残しました。この言葉にロック少年だった私は、ときめきを覚えたものです。しかし、手を伸ばす「月」を間違えると、大変なことになるようです。

 myoshin1610a.jpg昔、波羅奈(はらな)という城に、猿が五百匹住んでいました。ある月の夜、大きな樹の下にある井戸の水面に美しい月が映ります。猿たちは、この月を手に入れたいと、樹の枝を掴み、手と尻尾を掴み合って水面に手を伸ばしますが、樹の枝が折れて、みんな水の中に落ちて死んでしまいます。まやかし(水面の月)を真理(本物の月)と思って求めることを戒める、仏教に伝わる逸話です。

 さて、私たち人類はどうでしょうか。例えば、自然に対する姿勢一つをとっても、環境保護が声高に叫ばれているにも関わらず、利便性・経済性重視の開発は留まる気配がありません。物質的な豊かさへのとらわれを手放せずに、相変わらず水面の月に手を伸ばそうとしています。北極の気温上昇による氷の減少の話、深刻な環境汚染で水没の危機にある島国「ツバル」の話などを聞くと、人類もいつか水中に落ちた猿と同じ運命を辿るのではないか?。そんなことを考えていた時、ある高名な和尚様が僧侶への戒めとして書いた文章を目にしました。

 「じっと手を合わせて拝む信者さんの美しい姿を、その方の心を忘れないで欲しい。私たちは手を合わせて施しをして下さる方のおかげで修行が出来ている。硬貨一枚に手を合わせて拝む心を忘れてはならない。手を合わせて下さる信者さんの心を傷つけるようなことがあってはならない。」

 私は自戒を込めて、この文章を何度となく読み返しました。そして、読み返すうちに、私を取り巻く全ての環境に対しても、この戒めを忘れてはいけないと感じました。
 美しい大自然の中で、様々な恩恵のおかげで生かされていること忘れ、空気や水の存在が当たり前であることに慣れ、謙虚な気持ちと敬意をはらう気持ちを忘れ、大自然に傷をつけてばかりで「今のままで本当に良いのですか?」と突きつけられた気がします。
 口先だけの懺悔は何の意味もなしません。禅の教えの懺悔は「生涯を通じて犯さぬこと(懺)」と「これまでの過ちを知ること(悔)」です。過去の過ちを心に刻み、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うこと、ここを出発点にしないと、人類は水面の月に手を伸ばし続けることになりかねません。

 地球の危機的状況に、今後、何をした方が良いのか、何をしない方が良いのか。懺悔をすることで、謙虚な気持ちと全てに敬意をはらう気持ちを思い出せば、私たちの行動は自然と定まっていくはずです。また、その姿勢を保つことこそ、一番近い場所にある、本物の月の再発見への近道であると信じます。