法 話

新たな私のはじまり
書き下ろし

静岡県 ・東壽院住職  曦宗温

 4月は新たなはじまりを感じさせる季節です。ランドセルがとても大きく見える子、ダブダブの学生服を着て少し緊張の面持ちの中学生や制服が変わった高校生、真新しいスーツを着て会社に向かう新社会人の姿を見かけると、新たな環境に戸惑い、出来の悪さに悩んだ昔の自分と重なって、「がんばれ!」と思わず声をかけたくなります。

  失禁したあとの
  言葉無き優しさ
  屈辱と
  申し訳なさとを
  そっと包む

 これは3歳の時に筋ジストロフィー症を発症した岩崎航(いわさきわたる)さんの詩です。岩崎さんは20歳の時には人工呼吸器と鼻から管を入れての経管栄養無しでは生きていけない生活になりました。何年も吐き気が止まらず苦しみ、そして仲間は楽しい学生生活を送って社会に躍り出ていくのに、既に余生のような生き方をしなければならない自分に絶望してしまったそうです。
 しかしある時、苦しみ続ける自分のその背中を黙ってさすり続けている父母の存在に気がつきます。自分と一緒に苦しみ続けながら支えてくださった父母の慈しみに気がついた時、岩崎さんの中でパチンと何かが弾けます。そして「何でもいい、自分にもできることをしたい」と赤裸々な自分の思いを五行詩に託すようになりました。

myoshin1704b.jpg  自分なりの
  春夏秋冬を
  生きる
  季節外れの
  服を脱ぎ捨て

  春の温かさを
  知るための
  冬であったと
  言い切ることに
  臆するな

 私たちは「自我」という心の壁を自分で作ることによってそれを自分と思い込み、壁によって周りが見えなくなることから不安や怒りを作り出してしまいます。けれども岩崎さんのように、その壁がパチンと壊れてしまえば「あなた」と「私」を隔てない世界があるのです。あなたの「くるしい」は私の「くるしい」、あなたの「うれしい」は私の「うれしい」と共に分かち合う世界、「仏の世界」が今ここにあったのだと気づくのです。

  若い衆や 死ぬが嫌なら 今死にゃれ 一度死ねば もう死なぬぞや

 臨済宗中興の祖、白隠禅師の道歌に出てくる「若い衆」とは年齢の若い人だけでなく、この世界の真実がわからないので緊張しながら人生をビクビク歩いている私たちのことです。つまりこの道歌は

 「勝手にこしらえた『自分』なんか壊してしまえ。壊せば過去現在未来あらゆるものと一つ、恐れることは何もないのだ」

 世界の真実に気づいて欲しいと願い続ける白隠禅師からの応援メッセージなのです。

 4月は新たなはじまりを感じさせる季節です。「いつも仏様やご先祖様、あらゆる方から応援してくださっている」、そう信じて、真実の日々を歩みはじめてください。


引用:岩崎航『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社刊)より