法 話

春彼岸
書き下ろし

広島県 ・弘宗寺住職  水野宏泰

 寒さ和らぎ、春の足音が聞こえてまいります。日本独自の仏教行事である「春の彼岸」は、太陽が真東から昇って真西に沈む、春分の日を中心に行ないます。つまり昼と夜が同じ長さになるのです。この季節に彼岸が行なわれる理由の一つに「中道(ちゅうどう)」という仏教の教えがあります。
 「中道」とは、右でもなく左でもない、どちらにも片寄らない心の事を言います。人は時おり、片寄った考え方をしてしまいます。「あの人は好きだけど、この人は苦手」「私は正しいが、君は間違っている」という考え方です。これでは争い事が起こってしまいます。そんな時こそ、片寄らない心「中道」が大切なのです。
 例えば、ギターの弦をゆるく張ると「ベローン」という奇妙な音になりますし、強く張りすぎても弦は切れてしまいます。どちらにも片寄らず、適当な強さで張ってこそ美しい音がでるのです。


彼岸来て 悲願続けて また彼岸



 これは、ある事件で、息子さんを亡くされた母親が詠んだ俳句です。残念ながら犯人は時効になり、罪を償うことはありませんでした。犯人が早く見つかって欲しいという母親の「悲願」は、やがて息子に恥ずかしくない生き方をしたい「悲願」に変わり、ついには、冬が春になるように、憎しみもなく心清らかに生きたい「悲願」に変わったと言われます。
 悲しみ、苦しみ、悩みのない世界こそ「彼岸」です。これは何もご先祖様や、お亡くなりになった方だけが行く場所ではありません。生きている私達が何事にも片寄らない心であれば、その場が彼岸となり、毎日が彼岸となるのです。もちろん、仏壇やお墓を掃除する事も大切です。春の暖かい木漏れ日のような「片寄らない心」で日々生活する事が、本来の彼岸供養なのです。