法 話

春の贈り物
書き下ろし

東京都 ・龍雲寺住職  細川晋輔

 春になりました。季節を分ける「節分」は1年に4回あるはずですが、現在まで色濃く残っているのは豆をまく2月の節分のみ。冬と春との分かれ目になります。春夏秋冬の言葉通り、春は季節のはじまりです。そんな春にはたくさんの花が、冬枯れの枝から咲き誇ります。寒く地味な冬から一転してパッと華やぐのは景色だけではなく、人間の心も同じです。

  年年歳歳花相似、歳歳年年人不同

    年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。

myoshin1804a.jpg 中国の唐代の詩です。毎年同じように咲く、いつか二人で眺めた美しい花を眺めている。残念ながら、今年は隣にあなたの姿はありません。たった1人で花を愛でながら、時の流れの残酷さをかみしめる。自然の悠久さと、人の命のはかなさを対比させた詩となっています。
 ここには、必ず死を迎えなければならない人間の悲しい現実が込められています。形あるものは壊れ、命あるものは滅びてしまうという、仏教でいうところの諸行無常をあらわし、いつかは尽きる命だからこそ、今この瞬間を大切に生きていくことを説いているのです。
 しかし、単純に悲しい現実だと理解して、見落としてはいけません。春になると当たり前のよう見ることができる花も、当たり前のことですが、去年と同じものではないのです。たとえば、桜も毎年同じように咲いてくれますが、もちろん毎年毎年同じ花ではありません。暑い夏や寒い冬を耐え、台風や大雪を乗り越えて、何年間も休むことなく、やっとの思いで咲いているのです。そして一週間も経たないうちに散ってしまうのです。

  花が咲いている 精一杯咲いている 私たちも精一杯生きよう

 臨済禅の僧侶、松原泰道師の言葉です。私たちはここで、精一杯咲いている花を見て、当たり前なことなど何一つないことに気が付かなくてはならないのです。いつか尽きてしまう命だからこそ、いつか死んでしまうわが身だからこそ、そのことを悲観している暇はあってはならないはずです。
 私たちも、一所懸命に美しく咲く花と同じように、精一杯生きているのであろうかと、自分自身に向き合って真剣に考えることが肝要なのです。
 そのことを、春という季節は綺麗に咲き誇る花をもって、無言で教えてくれるのです。