法 話

「一期一会」~出会いを大切に~
書き下ろし

宮城県 ・圓通院副住職  天野太悦

 4月は多くの学校や企業が新年度を迎えます。進学や進級、或いは就職や人事異動などにより毎日の生活の中で身近な顔ぶれが、がらりと変わる可能性のある出会いの季節といえましょう。

 幕末の大老・井伊直弼は、茶人としても知られ、著書「茶湯一会集」に次のように記しています。


そもそも、茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我一生一度の会なり。去(然)るにより、主人は万事に心を配り、聊かも麁末なきよう深切実意を尽し、客にもこの会にまた逢いがたきことを弁え、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交わるべきなり、これを一期一会という、必々主客とも等閑には一服をも催すまじき筈の事、即ち一会集の極意なり。

【意訳】たとえ同じ顔ぶれで茶会を再び催したとしても、今日の会は決して繰り返すことのない一生に一度の会です。お互いに相手を粗略に扱う事も、何ひとつ疎かにすることもなく、実意をもって一服のお茶を頂くことが、茶湯一会集の極意です。


 直弼は同著の中で、「客が見えなくなるまで見送った後は、すぐに片づけを行なうのではなく、心静かに茶室に戻り、自分のために点てたお茶をいただきながら立ち去った客を偲ぶことが一会の極意です。」(意訳)とも記しています。

 毎日顔を合わせる人との出会いも、一期一会です。一瞬一瞬を大切にするということは、その場限りを大切にすればいいわけではありません。勉強も予習や復習があるからこそ、学習効果が高まります。そしてそれは人と人との出会い以外にも同じことがいえるのではないでしょうか。

myo_1804b.jpg 以前ホテルマンとしてオーストリアの首都ウィーンで勤務をしていました。当時、隣のハンガリーと日本を結ぶ直行便はなく、日本へ帰国する際はどこかの都市を経由し、時には宿泊する必要がありました。少しでも利用者を増やすために、ハンガリーに支社を持つ日本企業の方たちが首都ブタペストで会議をする場で、プレゼンテーションを行なう時間を作っていただきました。
 ところが当日、居並ぶ支社長の方たちを目の前にした時、私は頭が真っ白になり、まともに話すこともできず時間を終えました。その場をセッティングできたことに満足し、ホテルの紹介はいつものことだから大丈夫と気を緩め、簡単なメモだけを用意してその場に臨んだのです。きちんと原稿を準備していれば、棒読みするくらいはできたでしょう。自分ではどんなに相手と真剣に向き合っているつもりだとしても、予習や復習を怠れば、その出会いを大切にしているとはいえません。
 僧侶となった今も人前で話す機会をいただいた際は、その瞬間を思い出さずにはいられません。私自身、今後もこの苦い経験との出会いを「一期一会」としてまいりたいと存じます。

 出会うものすべてに対して心を込めて触れ合い、丁寧に向き合うことで「一期一会」を大切にすることを積み重ねていきたいものです。