法 話

諸法実相
書き下ろし

岐阜県 ・陽徳寺住職  松久宗心

 myo_2208a_link.jpgこの春の誕生日で、私は後期高齢者まで後1年となりました。5年前、40年ほど住職した寺を後継者に譲り、20年ほど住職のなかったこの寺に移りました。檀家30軒ほどの小庵です。糟糠の妻に、「昔を思い出し2人でまた一緒に頑張ろう」と言いますと、「行ってらっしゃい」と返され、単身赴任となりました。
 毎朝5時には起き、洗面を済まし、洗濯機を回し、朝食の準備をします。なぜか朝食は、お粥がよくなりました。6時に本堂へ向かうと、毎朝(日曜日は除く)、檀家の方数名が、ロウソクを灯し、線香を立て、経本を前に置き正座して待っておられ、一緒にお勤めをします。
 今年の3月以来、日々ウクライナとロシアの戦争の惨状を見聞きし、心を痛めています。ウクライナの人たちは、理不尽な自国への侵略、文化や生活の理由なき破壊に対して、命を賭して戦っています。もう4ヶ月も無辜の命が毎日失なわれていく。残念でなりません。
 世界の変動に対し、何もできない私は、毎朝のお勤めを、ささやかながら戦争の終結を祈って、勤めています。
 地元の人に勧められて、週2回「グランドゴルフ」を始めました。平和に感謝しながら続けています。ゴルフの経験はありませんが、そう遠くない距離、たいしたことはないと思いましたが、さにあらず。なかなかフォールに入りません。驚いたことに、私より5歳も10歳も年上の人たちが見事にホールインワンを決めます。「おっさまは雑念が多い」「修行が足りない」と言われます。心を乱す日々が続いています。
 心を乱さないための坐禅会を毎週しています。日曜日の朝7時から30分坐り、10分お勤めをし、20分お話をさせていただく。45年続けています。以前住職していたお寺は、山を背にし、車の通り抜けがなく静かでした。坐禅に最適です。本堂に「単」(坐禅をする場所)を32用意していますが、満杯になると本堂の縁側で坐ってもらいます。今も毎週通っています。ただただ多くの人と坐ることがありがたいのです。
 天気が良ければ、毎日2時間ほど境内の掃除をします。150坪ほどの庭ですが、建物の四方すべてが庭です。毎日の掃き掃除、草取り、剪定は欠かせません。ブロワーや除草剤は使わず、竹箒とヘラで行い、今日は、「ワクラ」2本「モッコク」1本の剪定し、庭づくりを楽しんでいます。この寺の庭には思い出があります。40年ほど前、このお寺を尋ねたとき、庭を見て私が「草はよく生えますね」と言うと、当時の寺庭さんに「草にも命があります。取らないで下さい‼」と言われました。当時この寺は、雑草と野良猫の巣窟でした。
 生きて行くことは、矛盾に満ちています。他の命を奪ってしか生きて行けない。食べ物においても、快適な生活を送ることにおいても。

 数日前の新聞を見ていると気になる記事がありました。(朝日新聞文化欄 2022年6月26日)「星の林に」寄せては満ちる愛 ピーター・J・マクミランの詩歌翻遊に

「気多のむら 若葉くろずむ時に来て、遠海原の 音を聴きをり」

(「春のことぶれ」釈超空)

作者折口信夫(1887~1953)は民俗学者・国文学者で、歌人としては釈超空の名で知られる。彼が最も愛したのは、弟子の春(はる)洋(み)だった。しかし春洋は1944年硫黄島に出征、翌年戦死する。自分のための墓はいらないと考えていた折口は、戦死した春洋のために、彼の故郷・気多に墓をつくり、自分もその墓に入ったという。

 私は、LGBTQのことにまだまだ疎い。心ならずも人を差別し、傷つけてしまったのではないかと怪しみます。
 マクミランさんも「遠海原に響く波のような、無限の可能性を秘めた愛が寄せては満ちる......そんな愛する人との暮らしを誰もが実現できる差別のない平和な世界の訪れを願っている」と言われています。