法 話

臨済禅師のこころシリーズ〔1〕
「あたりまえだと思っていたことが...」
書き下ろし

静岡県 ・中川寺住職  巨島善道

 以前、北陸のあるお寺で法話をさせていただく機会がありました。そのお寺の掲示板に、ご住職の字で、次のような言葉が書いてありました。

あたりまえだと思っていたことが
有難いものだと気づいたら
最高に幸せ

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 私たちはついつい「こうなったら幸せ」、「あれが手に入ったら幸せ」などと、今、目の前にないものを求めるくせがあります。それが故に、今すでにいただいている、有難いものごとに気がつくことができないのではないでしょうか。

 私たち臨済宗の宗祖・臨済禅師は「もし求むること有れば皆苦なり」と説かれています。求めているものが手に入らないと、人間は苦しみを感じます。もし仮に求めているものが手に入ったとしても、すぐに新しく求めるものが出てきてしまいます。こんなことを繰り返していたら、いつまでたっても幸せを感じることはできません。

 童謡「手のひらを太陽に」の作詞や、絵本作家で『アンパンマン』の作者として知られる、やなせたかしさん。彼は戦争体験や不遇な漫画家生活を過ごした経験から、「人間の幸せ」というものを常々考え、それは後の作品にも大きな影響を与えてきました。そんなやなせさんが、生前こんなことをおっしゃっていたそうです。

 幸福とはなんだろう。幸福の正体はよくわからない。お腹をすかせて一杯のラーメンがとてもおいしければ、それは本物の幸福だ。(中略)健康でスタスタ歩いているときには気がつかないのに、病気になってみると、当たり前に歩けることが、どんなに幸福だったのかと気づく。
 幸福は本当はすぐそばにあって、気づいてくれるのを待っているものなのだ。
(『やなせたかし 明日をひらく言葉』PHP文庫より)

 すぐそばにある幸せに気づくことができるか否か。それは私たちの心にかかっているのです。
 まもなくお盆休みの季節になります。せっかくのお休みですから、幸せを外に求めることも、お休みしてみませんか。そして、今・ここにこうして生きている、「あたりまえ」だと思っていたことの尊さ、有難さを感じながら、ご先祖様方をお迎えいたしましょう。