法 話

白隠禅師のこころシリーズ〔4〕
「衆生本来仏なり」
書き下ろし

兵庫県 ・宝林寺住職  西村古珠

 近ごろ我が国の宇宙航空研究開発機構(JAXA)による、エックス線天文衛星「アストロH」を載せたH2Aロケットの打ち上げが無事成功しました。

 科学技術の発達によって今まで見えなかったものが見えるようになり、今までできなかったことができるようになることは誠にすばらしいことです。心よりお慶び申し上げたいところではありますが、つい最近、どこかの国で世界中の非難を浴びた「事実上の長距離弾道ミサイル」と同じ様に見える気がするのは、生粋の文系人間である私だけなのでしょうか。

 牛が飲めば水が乳となり、蛇が飲めば水が毒となると申しますが、何とかして、皆んな仲良く「衆生本来仏なり」という平和な世界を実現する道はないものかとお祈り申し上げるばかりです。

rengo1604.jpg 話は変わりますが、何年か前のNHKの朝のドラマ「梅ちゃん先生」の中で、ドーナツの穴はドーナツか?という話がありました。ドーナツには穴がある、穴がなければドーナツではない(最近は例外もあるそうですが、それはこの際無視します)穴はドーナツにとって必要不可欠なものであり、ドーナツの穴はドーナツの一部だ。ここまではよろしいでしょうか。

 では、ドーナツの外はどうなるのか、ドーナツの穴と外はつながっている。ドーナツの外はドーナツにとって必要不可欠なものであり、ドーナツの外もドーナツの一部だ。

 ではここで問題です。ドーナツの外はどこまでがドーナツの一部なのでしょう。1ミリか1センチか1メートルか、正解は宇宙の果てまで。びっくりぽんや、ドーナツは宇宙の果てまでつながっていたのだ。何百億円もかけて人工衛星を打ち上げてブラックホールを観測しなくても、私たちは誰でもどこでも、百円のドーナツひとつで宇宙の果てまでつまんで食べることができるのです。色とりどり、味もいろいろ、大きくても小さくても、うまくてもまずくても、皆んなひとつ残らず宇宙の果てまで繋がっているのです。

「あれっ、ドーナツがない!」。

「えっ、何だって?全部食べちゃったって?」。

「まあいいか。最初から無かったと思えばいいのだ」。

「衆生本来仏なり、これでいいのだ」。