法 話

白隠禅師のこころシリーズ〔6〕
「片手の音」
書き下ろし

広島県 ・善福寺住職  山崎彰慶

 高校生の時、アメリカの小説家サリンジャーの『九つの物語』という短編集を読み、その扉にこんな文句がありました。

「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」―禅の公案より―

rengo1606.jpg 在家に生まれ、禅に親しむ機会もなかった当時の私は、この言葉が臨済宗中興の祖、白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の創案による「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」の公案であることを知るよしもありませんでした。
 それから数年のちの正月、近隣の町に住む叔母といとこ兄妹が、本家であるわが家へ年始に訪れました。当時、いとこ達は兄の方が中学生、妹は小学校に上がったばかりでした。
 学生だった私はたまたま、例の「隻手」の公案を思い出し、二人にとんち問題のつもりで質問しました。
「両手をたたくと音が出るけど、片手で鳴る音はどんな音?」

 兄妹はしばらくひそひそと相談していましたが、やがて答えが出たようでした。二人して向き合うと、兄が右手の掌を上にして差し出しました。すると、妹が得意満面といった表情で、自分の右手を勢いよく兄の手に打ちつけました。
 「ペチャッ」という可愛い音がしました。私は彼らの機転に感心するばかりでした。

 時は流れ、兄が27歳、妹が20歳の年に、叔母は頭部の内頸動脈の末端がつまる難病に倒れ、まもなく植物状態となりました。
 当初は兄妹二人が自宅で母親を看病し、その後施設へ入所してからは、二人とも仕事が終わると、母親の元に通う生活が始まりました。やがて妹は結婚しましたが、兄はその後も独身のまま過ごしました。
 昨年の暮れ、その叔母が亡くなりました。病に倒れてから、ちょうど20年の歳月が流れていました。叔母には1年前に治療不能の癌が見つかっていて、医者から余命1年の宣告も受けていました。
 枕経を終えた私に、兄の方が静かに言いました。「母は僕らを支えるために、今日まで生きてくれたのだと思います。たぶん、そろそろ大丈夫だろう、と僕らのことを認めてくれたんじゃないかな......」。
 この何気ない言葉の重さに打たれました。この20年のあいだ、いつか母親の完全な回復の望みは失われたかもしれませんが、この親子の心の交流はずっと続いていたのです。
 叔母は言葉も発せず、身動きもしませんでしたが、この兄妹は母親のほんの僅かの変化も見逃さず、無言の言葉を交わして、対話を続けていたのでした。いとこ達にとって20年間、ひとときも絶えることなく母親は在り続け、彼らを励ましてきたのでした。
 聞こうとしない者には何も聞こえず、見ようとしない者には何も見えない。すぐ目の前にある「隻手の音声」に、まったく気づかずにきた己の愚かしさに、叔母といとこ達は身を以て気づかせてくれたのです。
 白隠禅師の没後、遠く250年が隔たった今も、相変わらず「隻手」は音を発し続けています。「自分、自分」と己のことで一杯になった頭では何ひとつ、見えも聞こえもするはずはなく、ただ我執を離れ、対象と一体になった時にのみ、姿を現わす不可思議な音を。
 
*写真 "隻手" 久松真一記念館