法 話

把手共行 ―同じ目線になって―
書き下ろし

静岡県 ・普門寺副住職  野田宗里

 把手共行(はしゅきょうこう)。「手をとって共に行く」という意味の禅語です。愛する人や家族と手をつないで歩くと、嬉しくて心がウキウキしますよね。一人では歩けないような不安な時でも、誰かが手をさしだしてくれたら、それだけで心強いものです。
 とてもわかりやすい禅語ですが、大事なことは「相手と同じ目線になる」ということではないでしょうか。

 例えば、自分自身は苦しみのないような高い所にいながら、困っている人に手をさしだしたとしたらどうでしょう? それでは相手の心には届きません。そうではなく、その人と同じ場所に立って、同じ目線になって手をさしだしていく。手をつないで歩きますから、お互いが向き合ったままではなく、同じ方向の目標を目指しながら一緒に歩くことになります。歩くスピードも歩幅も相手とまったく一緒です。
 共に歩むその道は、まさしく人生そのものです。私たちはこの世に生まれ、老い、病にかかり、やがて旅立っていきます。そんな世の中を、共に喜び共に悲しんでいく。自分と相手との間に隔たりがありません。私があなたで、あなたが私。まさに一体となった素晴らしい生き方です。

1903a.jpg 詩人金子みすゞさんの遺稿を見つけ出したことで知られる矢崎節夫さんのお話です。
 山口市のある小学校のクラスが、ネパールの小学校建設基金に協力してくれたお礼として、矢崎さんはその学校を訪問しました。
 その前日、担任の先生はクラスの子に「明日は使っていない鉛筆で、もしネパールの小学生にプレゼントしていい鉛筆があったら、持ってきてください。ネパールの小学生は、鉛筆を持っていない子もいるのです」と伝えました。次の日、クラスの子たちはそれぞれ鉛筆を持ってきました。ところが、ある少女が持ってきた2本の鉛筆をよく見ると、2本ともきれいに削ってあったのです。
 「使っていない鉛筆を持ってこなかったのは、どうしてかな?」と先生が聞くと、その少女は目を輝かせて「ネパールの子が鉛筆を持っていないのなら、鉛筆削りも持っていないと思って削ってきたの」と答えたのです。担任の先生も、その話を聞いた矢崎さんも、驚きと感動で胸がいっぱいになりました。
 少女は鉛筆をあげる側から、鉛筆をもらう側のネパールの小学生と同じ目線になっているからこそ、鉛筆を削ることを思いついたのです。ネパールの子たちと心の手をつないで歩いているのです。

 あなたは、誰と手をつないで歩いていきますか? 相手の目線になってそっと寄り添えば、その思いはきっと相手の心に届きます。これからも共に歩んでいきましょう。