法 話

大用国師のこころシリーズ〔9〕
「暑さ寒さも彼岸まで」
書き下ろし

京都府 ・観音寺住職  瀬川宗輝

 鎌倉円覚寺の中興開山である誠拙周樗禅師(大用国師)は、多くの和歌や逸話があり、その中の一つに、

夏の日の あつさはいかて しのふへき

野山のくさも もゆるはかりを

と言う歌があります。
 山々の草木も燃える様な暑い夏の日は、どうやって過ごそうか。この世の全ての現象は、川の水が流れる様に留まる事は無い。常に移り行き、豪雨や地震、猛暑も大雪も全て無常の習い、どうする事もできません。暑い時には暑いように、寒い時には寒いようにしかなりません。

 杉原千亜紀さん(広島県世羅町)42歳の思い出「よっちゃんお盆がきたよ」に、

従兄のよっちゃんは5歳の時に母を亡くし、私の家には、分骨した叔母の骨壺があった。小学校低学年のよっちゃんが、泊りに来た夏休みのある晩、ふと彼を見ると、遺影の前に正座し、団扇で骨壺を扇いでいた。「お母ちゃん、暑いじゃろ」と話しかけながら、一生懸命小さな手を動かしていた。私は当時5歳位だったが、今でもあの光景を覚えている。

平成25年8月15日朝日新聞「ひととき」抜粋

 よっちゃんは遺骨になった母に対しても、夏は暑かろうと云う親を思う子の心情がいじらしい。

 誠拙禅師にも似た様な逸話がございます。
 禅師晩年の冬、京へ上ろうと駕籠に乗り、一面の大雪に覆われた箱根山で、身を裂く様な寒風に手足も凍えそうになる中、大名行列がやって来ました。その大名は「公」(松平不昧)と聞き、駕籠を路傍に止め待っていた。先方もまた禅師と知り、駕籠をすれすれに寄せ雑談を始め、やがて禅師はこう言われた。
 「どうも歳は取りたくない、若い頃は素足に草鞋で雪の中も平気だったが、この歳になると、駕籠の中でも寒くて凍えるようだ」「それは、やはりお歳のせいでしょう。ところで、和尚はこういう物を持っておられぬようですな」
 不昧公は、今まで自分が手を温めていた銀の手炙りを見せた。すると禅師は、「なるほど、これは調法な物ですな、さぞ温かかろう。暫く、お借りします」と言って自分の駕籠に移し、手を温めながら雑談していたが、急に、「これ、駕籠を出せ。さ、早く、早く」と借りた手炙りを持ったまま、さようならとも、有り難うとも言わず、駕籠屋を促しスタスタと西の方へ行ってしまった。あまりの突飛さに不昧公はどうする事も出来ず、愚痴をこぼしこぼし寒さに震えながら江戸へ帰ったというお話です。
 寒中の箱根越えをする年老いた誠拙禅師には、これほど有難いものは無い。手炙りは貴重な品だが、不昧公ならまた手に入ると思われたのでしょう。こうして禅師もまた、寒い冬は寒いなりの接し方をした訳です。

 1908b.jpgこの世の中は無常なのであります。常に移り行き、ただ一度として同じ時は存在しません。無常だからこそ、有難い事なのです。無常でなければ、貧乏な人はお金持ちに成れません。貧乏な人がお金持ちになるのは、無常なるが故に、お金持ちにもなれる。久し振りに会う子供を見て「大きくなったね」と言うのは無常。何時まで経っても生まれたままでは、それは無常ではないのです。
 人は歳を取ると、変わらない事を喜びます。「何時見ても、お変わりございませんね」と言われれば、「お陰様で」と喜びます。反対に、「暫くお目に掛かりませんでしたが、随分老けましたな」と言われると、「他人事の様に言うな。あんたの方がより、老けとるではないか」と言い返されてしまいます。ものごとは常に移り変わるが故に、人は変わるわけです。何事も変わらなければ、貧乏から抜け出す事も、成長し老いていく事もありません。
 夏の暑さも冬の寒さも、無上なるが故であります。日本には、春に百花、夏に涼風、秋に月、冬に雪とそれぞれの好時節が在ります。四季折々を人間の好時節と生きていけば、暑い夏も寒い冬も何時かは、秋となり春となり過ごし易くなります。移り行くこの世界で、二度と過ごす事の出来ないその時その時を大事にして頂き、暑い時には暑いように、寒い時には寒いように、人生の好時節をお過ごし頂ければ幸いに存じます。