法 話

釋宗演禅師のこころシリーズ〔5〕
「座右の銘」
書き下ろし

栃木県 ・報恩寺住職  伊藤賢山

rengo_1806a.jpg 寺院では50年に一度「遠諱」(おんき)と呼ばれる祖師への法要が行われます。それによって祖師の法灯(教え)が絶えず継承されている事を確認するのです。平成30年は禅を世界に広めたことで知られる釋宗演老師の百年遠諱にあたります。
 釋宗演老師は安政6年に福井県にお生まれになり、臨済宗の大本山の一つである鎌倉円覚寺の今北洪川老師について参禅。25歳の時に悟りを得て洪川老師の法を嗣ぎました。その後も慶應義塾大学にて福沢諭吉翁の下で英語と洋学を学び、34歳で円覚寺派管長、さらには建長寺派の管長も兼務されました。
 広く民衆に禅の教えを説き、アメリカの地にはじめて禅を伝えました。また、夏目漱石や仏教学者である鈴木大拙が宗演老師に参禅したことでも知られています。
 釋宗演老師の座右の銘の一つに、

  客に接するは独り処(お)るが如く 独り処るは客に接するが如し

とあります。誰でも自分一人で居るときは気持ちが楽で警戒や緊張などはしません。この開放的な気持ちで他の人に接するなら、相手も緊張をせずに済むのではないでしょうか。
 一方で目の前に見知らぬ他人が居ると思うと警戒や緊張は必然です。この引き締まった気持ちで一人の時間を過ごすならば修養上もっとも大切な、慎独(自分一人で居る時の自分の言動を大事にする)の徳を積むことができるのです。

 私は毎週日曜日の夜になりますと、必ず一人でじっくりと大河ドラマを観賞します。しかしただノンビリと観て楽しむのではありません。できる限り姿勢を正して向き合います。役者たちの役作りの苦労を通して映像の向こうに覗く先人たちの想いを感じながら、如何にして今のこの国の平和があるのかと感謝の思いを馳(は)せるのです。
 この引き締まった気持ちで一人の時間を過ごし、逆に他人と話をするときには開放的で楽な気持ちで相手と向き合うことを心掛けております。

 以前の私は人前で話をするときは「堂々と上手に話をしなくては」という思いから声が強く高圧的になってしまいました。話し方が不自然で聴衆も警戒を解くことができない様子が目に見えて分かりました。
 元アメリカ大統領のビル・クリントン氏の演説があまりに上手なので、どうしてそんなにも上手にスピーチができるのか?と尋ねた記者がいたそうです。するとクリントン氏は「僕はいつもリビングで家族に話しかけるようにスピーチをしているんだ」と答えられたそうです。
 以来、私はどんなシーンにおいても他の人に対して開放的で楽な気持ちで「リビングで家族に話しかけるように」相手と向き合うことを心掛けております。すると私の中に釋宗演老師が座右の銘とされた、

  客に接するは独り処るが如く 独り処るは客に接するが如し

の一句が少しずつ染み込んでくるように感じてなりません。 
 老師の徳を偲び、法灯が絶えず継承されているのを確認しながら百年の遠諱に臨みたいものです。