法 話

現代における「和合」の大切さ
書き下ろし

京都府 ・雲林院住職  藤田寛蹊

rengo1711a.jpg 現代で一番の問題になっているのが「争い」ではないかと思います。「人と人」「人と国」「人と自然」「人と宗教」等、様々な問題があります。「人」といっても、親子、親類、友人、師弟、等々の「争い」があります。
 それでは「争い」をなくすにはどのようにすればよいのでしょうか。
 大切なことは「和合」だと私は考えています。人がお互いに思いやり、解りあえればよいのです。誰もが簡単に理解でき、実行できるはずなのにできない。それは、自分に我があり、それによって、すべてが自由になると思いこんでいるためです。

 『仏説阿弥陀経』には「共命(ぐみょう)の鳥」という鳥のことが書かれています。頭が二つに胴体が一つの、この世のものとは思えない美しい姿と声で鳴いている鳥の話です。
 二つの頭はその美しい声と姿が自慢でした。ある日、一方の頭の鳥が「もし、もう一方の頭の鳥がいなくなれば、正真正銘この世で一番美しい歌い手になることができる」と考えました。そこで、一方の頭が、もう一方の頭の鳥に毒の実を食べさせ殺してしまいます。残った頭の鳥がこの世で一番の姿と鳴き声になりました。しかし、死んだ方の頭が段々腐り、ついに胴体まで腐って最後には残った頭の鳥も死んでしまったという話です。
 二つの頭に共通の胴体。一方が死ねば、やがて両方が死んでしまう。これは、私たちの今の姿を現わし、将来の姿を暗示しています。自分の欲望のままに行動し、他人や、自然を支配してしまう。しかしそれは、いずれ、自分の破滅を招く結果を迎えてしまうのです。
 仏教では「人は生かされている」という基本理念があります。「生かされている」というのは言い換えれば「和合している」と言ってもよいと思います。働いてお金を稼ぎ、それでものを買い、生活をする。一見、自分自身だけが、誰にも迷惑を掛けずに生きているように見えますが、実は違います。毎日食べているご飯でも食べるまでには多くの人を通して、食卓に上がっているのです。お米を作る農家の方、流通の方、炊飯器を作る人、ご飯を炊く人の手間等々。さらには、お米の出来を左右する自然。米一粒とってもこれだけのものが係わっているのです。

 社会の中でも、警察、病院、学校、交通など自分たちの世の中に貢献している人は沢山いて、この人たちの御蔭で平穏な生活が送られるのです。ですから人間は自然や多くの人々に感謝をして生きていかなくてはいけないし、いつも共に歩むということを考えなくてはいけません。

 「人間は昔に比べ利口になったのか?」と問われると「いいえ」と言わざるを得ません。知識も生活も豊かになったがその反面、未だに仏教の「和合」の教えを理解できていません。
 どうぞ皆さん、今一度身近な人間関係から「和合」というものを考え直してみてください。人と人とが理解できれば、それがきっと大きな和合になって、さらには人から大きな国や自然や宗教に対しても和合することができ、より良い環境ができていくと私は確信しています。