法 話

釋宗演禅師のこころシリーズ〔10〕
「頭が下がる人」
書き下ろし

京都府 ・興雲庵住職  坂井田泰仙

 本年はスポーツ界における「パワハラ」がたびたびクローズアップされておりましたが、スポーツ界に限らず、会社や団体などあらゆる組織の中での人間関係において軋轢(あつれき)が生じることは少なからずあります。
 特に今は組織における指導者と呼ばれる立場の人間の品格・資質が厳しく問われている時代といえるのではないでしょうか。

 『観音経』というお経の中に「慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)」という一節があります。観音様は生きとし生けるものを平等に慈愛の眼をもって見守って下さるという意味です。
 一切の物事を差別することなく平等に見ることは、現実的にはなかなかできることではありません。私達は知らず知らずのうちに自分の価値観、ものさしによって偏ったものの見方をしてしまいます。
 しかし仏教では、そんな私達の心にも観音様のような大いなる慈悲心が本来具わっていると説きます。時には自分の心を静かに見つめなおし、心の余計なわだかまりを洗い流してその素晴らしい心の存在を信じて日々を送ることが必要なのではないでしょうか。

 さて、本年は若干32歳にて鎌倉円覚寺派の管長に就任され、明治・大正時代にご活躍された釋宗演禅師の百年遠諱にあたります。
 これは宗演禅師の少年時代のエピソードです。

 宗演禅師は15歳から17歳までの間、建仁寺の塔頭寺院である両足院(りょうそくいん)において修行をされていました。
 当時両足院は「群玉林(ぐんぎょくりん)」とよばれ、10歳から18歳位の大勢の小僧さんが千葉俊厓(しゅんがい)禅師の下で日々研鑚を積んでおりました。
 夏のある日のこと、俊厓禅師が所用で外出されることになりました。小僧さん達は「鬼の居ぬ間に洗濯」、ここぞとばかりに昼寝を始め、宗演禅師も師匠の部屋に通じる渡り廊下に布団を敷いて眠りにつこうとしました。
 その時、思いがけず俊厓禅師が帰って来られました。宗演禅師も異変に気付き、急いで起きようとされますが間に合わず、腹を決めて狸寝入りを始めました。すると俊厓禅師は廊下で寝ている宗演禅師を見つけると怒鳴ることもなく、宗演禅師の足元を「ごめんなされや」と小声でつぶやきながら手を合わせ、そっとまたがれたそうです。

 後に管長になられた宗演禅師は、「わしはこの時に人の師となる人物の心掛けの一端を見た」と高座で涙を流しながらお話しになられました。
2011_08_17_0595.JPG 「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂(いなほ)かな」という言葉があります。学問や徳行が深くなればなるほど、より謙虚になるという意味です。俊厓禅師はまさに自然と頭が下がる人物でした。「頭を下げる」と「頭が下がる」では意味合いが全く異なります。
 「頭を下げる」は自分にとって利益がある場合など自分の都合で意識的に頭を下げており、心が伴っていない場合があります。しかし、「頭が下がる」は自分の中に周囲への感謝の心、尊敬の心がなければ自然と頭は下がりません。稲穂と同じで心が十分に実っていなければ頭は下がらないのです。
 俊厓禅師は大いなる観音様の慈愛の眼差しで宗演禅師をご覧になられ、心の中の仏様に自然に頭を下げて手を合わされたのです。
 組織の指導者たる人間は厳しさももちろん必要ですが、観音様のような海のように広大な心と慈愛の眼で一人一人を見守っていく俊厓禅師のような人物が現代社会には求められているのではないでしょうか。