更新日 2006/09/01 |
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『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』 (細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より |
二、三日前も、新幹線の車窓から富士山を見る機会がありました。全容がくっきりと眼前に現れ、八合目あたりに白雲がたなびき、広々と拡がる雄大な裾野に圧倒されました。まさに、「青山元不動、白雲自去来」の消息です。 人によく思われたい! どこかで読んだ詩の一節です。 こんな面白い咄を聞いたことがあります。 父と子の農夫が仕事を終え、馬を引いて家路につきます。通行人が彼ら親子を評しています。 「バカな人間だな。馬の背があいている。誰か乗れば疲れなくてすむのに」 と。それを聞いた息子は、なるほどと思い、父を馬に乗せて、今度は自分が馬の手綱を引いて道を急ぎます。その前方からきた通行人は、またすれ違いに、暗に父親を非難するように、 「かわいそうに、子どもも疲れているだろう」 と、ひとりごとをいいます。それを聞いた馬上の父はあわてて下へ降りて、遠慮する息子をむりやり馬の背に乗せ、代わって馬を引きます。しばらくしてまた数名の通行人が、こちらにやってきます。彼らは、この父子の姿を見て、あきれたように 「老いた父を歩かせて、いい若者がのんびりと馬の背にゆられている。世の中にはこんな親不孝者もいるんだなぁ!」 と。息子は恥ずかしそうに馬から飛び降りて父と相談をします。そして誰からも文句をいわれないようにと、親子二人仲よく馬にまたがります。今度こそ誰からも一言もいわれずにすむかと思っていたら、「大の男が二人も乗るなんて、何と残酷な人たちだろう。馬がかわいそうだと気づかないのだろうか!」と激しい痛罵(つうば)の声を耳にします。父と子は困り果てます。そして相談の結果、今度は二人して馬をかついで帰ります。人々はそれを見てびっくり仰天、やがて大きな声で笑いこけます・・・・・・。 「青山元と動かず、白雲自ずから去来す」。じっくり味わいたい句です。 |