山中無暦日 寒尽不知年

禅 語

更新日 2011/02/01
禅語一覧に戻る

山中無暦日 寒尽不知年
(唐詩選)
さんちゅうれきじつなし
かんつくるもとしをしらず

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11禅文化研究所刊)より

 『唐詩選』の中に太上隠者(たいじょういんじゃ)(生没年不詳)の「人に答うる」と題する句があります。


(たま)たま松樹の下に来たり
枕を高くして石頭に眠る
山中暦日無し
寒尽くるも年を知らず


 太上隠者、太上とは最高という意で、すばらしい隠者(世捨人)という意味です。暦日とはこよみの事、枕を高くとは安眠熟睡すること。
 太上隠者は、偶然この清閑な山中の松の樹の下に庵を結びます。夜は大石の上で枕を高くしてぐっすり眠ります。思えばこの山中に入って幾年になるだろうか。今年もまた寒がつき、春めいて来たようだが、今年が何年だか一向にわからないというのです。
 一切を放下して洒々落々に無に徹して小鳥の声と風の音だけの山中の静寂そのものの中にいると世間的な時間を忘れてしまうものです。
 「山中」とは文字通り山の中だけではありません。お茶席などでゆったりとした心配りを受けた時とか、友人の家を訪れた時、温かい歓待で時の経つのを忘れる事があります。そのお茶席こそ、その家庭こそ、「山中」です。このように時間を超え、空間を超えて、何のこだわりも、とらわれもない、ゆったりとした、おおらかな消息を、「山中暦日無し」と頌したのです。
 奥州路のある山中の寺の話です。江戸時代、宝暦年間の陽春の昼下がり、一人の旅人が寺の玄関先に立ち、住職の在否をたずねます。他出中だと小僧が答えると、「それは残念、昼飯を馳走になろうと思ってやってきたのだが」「どちらからですか」「京からだ」。小僧は数百里も離れた京都からと聞いて、客間に通して茶漬けを馳走します。しばらくして客人は太筆を持ってこさせると、無地の襖に花鳥の絵を描いて、住職にくれぐれもよろしくと立ち去ります。夕方になって和尚が帰って来ると、小僧が報告します。和尚には心あたりがありません。「さては飯のただ喰いされたのか!」とくやしがる小僧をなだめて襖の前に立って絵を見ます。「池無名」と署名してあります。和尚はじいっと見入っていますが、「すばらしい絵だ!」と感嘆の声を上げ、「わしはこれから旅に出るぞ! 京に行ってこの画人にお礼を云って来る」と、突然寺を出て旅に出ます。京都に入って、「池無名」という画人をあちこち訪ねますが、そんな画人を知る人はいません。ある日、祇園の社で「池無名」と署名した絵馬を見つけ神主に住いを聞き出し、東山に住む「池無名」の草庵にやっとの思いでたどりつきます。草庵は書画に埋まり、そのすき間で夫婦がビワ三味線と琴を合奏しています。呼吸もぴったり、実にのどかです。和尚はいんぎんに手を付き、「あなたの花鳥の絵は見事なものです。寺の宝物とします」と御礼を述べます。夫婦は一瞬、弾奏の手を止め、和尚を見ます。「一言御礼を」「それはわざわざ」と会釈を返します。和尚はもう一度、頭を下げて、さっさと家を出て奥州の自坊に帰ります。夫婦もまた合奏を続けます。
 その「池無名」こそ脱俗の画人といわる池大雅(いけのたいが)(1723~1776)です。池大雅と和尚の消息、おおらかでゆったり、まさに「山中暦日無し」の消息ではないでしょうか。毎日毎日、忙しい忙しいと云ってガサガサ動きまわっている我々にとってじっくり味わうべき話です。