棘の林を突き進め

禅 語

更新日 2013/07/01
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棘の林を突き進め
過得荊棘林是好手。

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』

(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

―荊棘林(けいぎょくりん)を過ぎ得るは是れ好手―(『雲門広録』中)

世間を渡るということは、決して容易なことではない。それは棘の林をかき分け、血みどろになって進むようなものであろう。この語に続いて、「平地上、死人無数」とあるように、多くの人間は遅かれ早かれ途中で挫折して、自分の道を突き進めないままに人生を終えてしまうのだ。
 この世界を生き抜くためには、どんな苦労の前にも立ち止まってはならない。それは荊棘(いばら)の林を、血みどろになってかき分け進むようなものである。もちろん自分で選んだ道ならば、誰でも相当の苦労は覚悟の上であろうが、時として絶望が待ち受けている。
 たとえば苦労して会社を作り上げたとする。それが経済不況の荒波をくらって、経営が苦境に陥る。社長にとって自分のことはもはや問題ではない。それまで会社のために共に苦労してくれた従業員やその家族のことを思って、胸を裂く思いに浸るであろう。
 ここに来て絶望のままいのちを絶つ人も少なくないと聞くが、ここで倒れてはならないのだ。命がけでなされる禅の修行では、途中で倒れてしまったものの屍を跨いで突き進まなければ、禅の「好手」にはなれないと教えるのだ。
 まして弱肉強食の現実世界では、少しの苦しみに倒れてしまうか、あるいは強靭に突き進むかは、経営責任者に突きつけられる決断の分かれ道であろう。
 神戸のさる中小企業に労働争議が起こった。会社は連日のストライキで止まったままだ。
 社長は学生時代に、天龍寺の管長が、「困ったときは一息つけ」と言われたのを思い出し、ひとり神戸から京都の嵐山に来て、天龍寺の門前から管長の部屋に向かって、肚の底から深い呼吸を繰り返したという。やがて紛争は収まり、会社はいまも健全であるという。