見面不如千里聞名

禅 語

更新日 2014/09/01
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見面不如千里聞名
おもてをみるは、せんりなをきくにしかず

『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』

(西村惠信著・2010.07 禅文化研究所刊)より

人格は出会っただけで分かる

―面を見るは、千里名を聞くに如かず―(『祖堂集』四、薬山惟儼章)

「本人に出逢ってみたら、噂ほどの人ではなかった」ということ。人間の中味は出逢ってみなければ分からない。「百聞は一見に如かず」に同じ。

世間には有名な人が沢山いる。そういう人に一度出会って、その謦咳に接したいものと誰でも思う。ところが実際に出会って見たら、何の魅力もなかったということはよくあることだ。われわれは噂だけで人を信じてはならないということであろう。
 中国の話である。天下にその徳風の聞こえた禅僧があった。ある修行僧がこの人を訪ねて、渓谷に沿って深い山道を登って行った。すると川上から一枚の菜っ葉が流れてきた。それを見た途端、行脚の僧は引き返し、もと来た山道を降りて行ったという。一枚の菜っ葉も無駄にするような人は、噂ほどではないと見抜いたのである。
 次はこれと反対の話。昔、近江の国一番と言われる親孝行者があった。噂の通り彼は老母を大切にし、手を引いてお寺参りをしたり、肩を揉んだり、脚を擦ったりして、老母を喜ばせていた。
 ある日彼は、信州に日本一の親孝行がいると聞いて驚き、わざわざ出会いに行った。どうすればもっと母に孝行ができるかという思いからであった。
 信州の息子は折しも山仕事に出ていて、今は留守だという。待っていると、やがて息子が山から帰ってきた。それを見て老母は立ち上がり、川に行って桶に水を汲んできて、自分の手で息子の脚を洗い、丹念にそれを拭いてやったのである。
 この光景を目の当たりにした近江の親孝行は、自分の孝行は自分だけの自己満足に過ぎず、老婆の思いに従うことこそが、本当の孝行であることを教えられたという。実際に見ることの大切さであろう。