第1回 世界文化遺産 天龍寺

天龍寺

 臨済宗天龍寺派大本山。正しくは霊亀山天龍資聖禅寺で、京都市右京区嵯峨に位置する。1339年(暦応2年)、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。
  この地は、檀林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあったところで、のちに後嵯峨天皇の仙洞御所・亀山殿が営まれた。後醍醐天皇はここで幼少期を過ごした。
  夢窓国師は堂宇建立の資金調達のため、「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、1343年(康永2年)ほぼ七堂伽藍が整った。夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第一の寺格を誇った。
  創建以来、天龍寺は1356年(延文1年)をはじめ、八回の大火に見舞われ、現代の堂宇の多くが明治期の再建。夢窓国師による庭園(曹源池)は国の特別史跡名称第一号に指定、年(平成6年)世界文化遺産に登録。

曹源池 ( そうげんち )

 優美な王朝の大和絵風の伝統文化と、宋元画風の禅文化とが巧みに融け合って、独特の美しさを表現しているのが、夢窓国師作庭の曹源池庭園で、嵐山、亀山などを巧みに取り入れた借景式庭園として、わが国では初めて特別名勝に指定され、廻遊式庭園としても最も古い遺構である。
池の前提は 洲浜 ( すはま ) 形の ( みぎわ ) や 島を配して、砂の白と松の緑がきわ立ち、大和絵さながらの味をみせ、池の奧の山際に岩石を組んで、遠山渓谷を表わし、渓流が池に落ちる滝口に巨岩を二段に立てて滝の落ちるさまにかたどり、これに鯉魚石を配して 登龍門 ( とうりゅうもん ) の故事になぞらえている。

 その前の自然石の橋、三尊形式の岩島、亀山の松かげをうつす水面に浮嶋のように頭をもたげた岩 のたたずまいなど、いずれも嵐山の遠景とともに、四季を通じて絶賛されるところである。

 写真撮影:柴田秋介

多宝殿 ( たほうでん )

 昭和9年に再建され、後醍醐天皇の尊像を安置する。吉野調の皇居の 紫宸殿 ( ししんでん ) を 偲ぶ上に最も正確な建築様式である。

 写真撮影:柴田秋介

法堂 ( はっとう )

 昔の選仏場(坐禅堂)を移して七堂伽藍の一つである法堂にあてたもので、正面には釈迦、文殊、普賢の尊像を安置する。天上の雲龍は、現代の巨匠、加山又造画伯の傑作である。

 写真撮影:柴田秋介

大方丈・庫裏

 写真撮影:柴田秋介

百花園

 写真撮影:柴田秋介

刺繍八相大涅槃図

 本紙は絹地掛幅装で、約3.5メートル四方(全体は縦4.35m、横3.37m)あり、刺繍による涅槃図としては日本最大級のもの。
制作は17世紀後半ごろと推定されており、当時の最高レベルの技術で、22色の刺繍糸を用いて極めて精緻に縫い上げられている。
中央の釈迦如来の螺髪には、刺繍糸ではなく、信者の寄進と推測される毛髪が使われていて、仏教に帰依する人々の心が偲ばれる。
上部中央には『涅槃経』が額に納めてあり、涅槃図の左右両脇には、摩耶夫人の胎内に宿られたところから、荼毘に付されるまでの釈迦一代の伝記が描かれている。
兆殿司筆の大涅槃図(東福寺蔵)は、猫が描かれていることでも有名だが、本図右端にまぎれもなく猫の姿が見られ、そういう点でも珍しい作といえる。
毎年、涅槃会に特別公開される。