
東福寺◆開山
円爾弁円(聖一国師)
東福寺開山聖一国師(円爾弁円)は建仁2年(1202)10月15日駿河国(静岡県)栃沢の米澤家(現存)に生まれました。三井園城寺の学徒として天台の教学を究め、後、栄西の高弟行勇・栄朝ついて禅戒を受けました。
嘉貞元年(1235)33歳で宋に渡り杭州径山万寿寺の無準師範(佛鑑禅師)の膝下にあること六年、無準禅師の法を嗣ぎ、仁治2年(1241)7月帰朝されました。
先ず、筑紫に崇福・承天二寺を建てて法を説き、寛元元年(1243)には九条道家に迎えられて禅観密戒を授けました。次いで東福寺開山に仰がれ、山内の普門院を贈られて常住しました。その後、後嵯峨天皇に『宗鏡録』を進講し、また後深草・亀山両天皇も菩薩戒を授ける等、朝廷・幕府の帰信を次第に深めていかれました。
建仁寺の再建を委ねられ入寺、岡崎尊勝寺、大阪四天王寺、奈良東大寺等の大寺院を監閲し再建復興にも尽力されました。更に延暦寺の天台座主慈源や東大寺の円照らを教導したので、学徳は国中に讃えられました。
弘安3年(1280)10月17日79歳で入定、「利生方便 七十九年 欲知端的 佛祖不傳」の遺偈を残します。これは現存する遺偈としては我国最古のものです。
応長元年(1311)花園天皇より聖一国師と諡されたが、我が国での国師号の初例です。またその後、安永9年(1780)後桃圓天皇より大寶鑑廣照国師と加諡され、さらに昭和5年(1930)「神光」と加号されました。
国師は宋より帰朝の際、一千余の典籍を持ち帰り文教の興隆に多大の貢献をされました。又水力をもって製粉する器械の構造図を伝えて製麺を興し、静岡茶の原種を伝え、博多織の創製、博多焼(博多人形)、博多素麺、博多祇園祭の山、栴檀の木、通天楓、伏見人形の将来等、その遺芳は枚挙に遑がありません。また国師の高弟東福寺第三世大明国師(無関普門)は南禅寺の開山に迎えられ、国師の偉徳を更に顕現しました。
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