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円覚寺◆概略・歴史

 弘安5年(1282)、鎌倉時代後期 北條時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建されました。
 時宗公は18歳で執権職につき、不安な武家政治の中で心の支えとして、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。
 時宗公は禅を弘めたいという願いと蒙古襲来による殉死者を(敵味方区別なく、冤親平等に)弔うために円覚寺建立を発願されました。
 円覚寺の名前の由来は建立の際、大乗経典の「円覚経」が出土したことから、また、瑞鹿山、山号の由来は開山国師(無学祖元禅師)が佛殿開堂落慶の折、法話を聞こうとして白鹿が集まったという奇瑞から瑞鹿山(めでたい鹿のおやま)とつけられたといわれます。
 開山国師(無学祖元禅師)の法灯は高峰顕日、夢窓疎石と受け継がれその流れは室町時代に日本の禅の中心的存在となり、五山文学や室町文化に大きな影響を与えました。
 円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府の篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。
 室町から江戸時代幾たびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸末期(天明年間)に大用国師(誠拙周樗)が僧堂・山門等の伽藍を復興され、修行者に対し峻厳をもって接しられ、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。
 明治以降今北洪川老師・釈宗演老師の師弟のもとに雲衲や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。今日に至ってもさまざまな坐禅会が行われています。
 静寂な今日の伽藍は創建以来の七堂伽藍の形式が伝わっており、山門,佛殿,方丈と一直線に並び、(法堂はありませんが)その両脇に右側、浴室,東司跡、左側、禅堂(選佛場)があります。
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