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「充実の日々」
愛知県・乾徳寺住職 木下紹真

 去年の八月末、腱鞘炎になりました。広辞苑を持ち上げることも難儀で大変だと大騒ぎしておりますと、妻が答えて、「私は左側が四十肩になり、今は右側が五十肩で、おまけに腱鞘炎になっていますよ。だから服の着脱がとても難しいんです。だけど、貴方に訴えもせず、日常生活を送っています。だって、貴方は私と代わることができないから、私の痛み、私の辛さが分かる筈がないもの」。言われてみれば、確かにその通り、私は妻になることはできません。妻も私になることはできないのです。

 昔、大慧禅師の弟子で、開善謙和尚という方が、二十年修行しても悟りを開くことができない。そんな時に、禅師に用を言いつかり旅に出ることとなった。元上座に相談したところ、一緒に行ってやると言われ、二人して出掛けた。悟りたい自分であるのに、旅に出ての用足しとは、と男泣きしていると、元上座は答える。「代われるものは、一切私がやる。しかし、ただ5つのことは代わってやれぬ。それは、着衣、喫飯、◇屎、送尿、箇の死屍を駄して路上に行く、の5つだ」と。その言葉で謙和尚は大悟した、というのです。
 私は、妻の言葉で、“代わることができない”という大事なことを学びました。「随処に主となる」という禅語を側面から見ることを知りました。「主」とならざるを得ないことが、人生に於いて当たり前のことと納得したのです。

 宮下さんのお嫁さんは、義父母ともに介護して送られた方です。姑さんは家事一切を一生涯しなかった人です。舅さんのオムツの取り換えの時、初めの頃は互いに要領が悪く、少し位は協力してくれてもと思っておられました。でもこれは私の務めという思いで、懸命に取り組まれました。日頃から、オムツの中での排泄の時など、舅さんの非協力もあって上手くいきません。自分では何もできないのに、私しかやって上げる者はいないのにとか、買い物に行く時間なのにグズグズしているとか、つまり、非難されまいとの思い、務めだからキチンと世話しなければと、肩肘張ってやっておられただけなのです。
 或る時、季節も春で、お嫁さんの気分が良くて、「庭の桜も満開です。近所の桜の名所に沢山の人が出て、そりゃ大賑わいですよ」と話し掛けてから、「オムツ換えましょうか」と言ったら、すごく協力的に腰を浮かしてくれたということです。お嫁さんが私に言われました。「私はハッと気付きました。舅は苦しく切なかったのだ。私は、して上げていると思い上がっていたんです」と。自分中心に考えていて、舅を苦しめていたことに思い至らなかったと反省して、それからは舅さんの気持ちに添って世話していこうと思われたのです。

 優しい思いやりの心で接することは、相手の置かれている状況を考えて、喜び、満足して、安らぎと安心感を持ってもらうことであって、自分を良く見てもらおうとか、世間体を優先させるとかをとっては、絶対にいけないということです。他の人の生きる手助け、支えとなるように生きるべきです。頑張るとかの励ましは多くの場合、負担を感じさせます。代わってもらえぬということを自分でしっかりと受け止め、私はしっかりと相手を思いやるが、私からは要求しない、請求書は出さないし、腹を立てない気持ちで、毎日過ごすべきです。
 腱鞘炎、あるいは小指一本のケガでも不便なのに、まして、体が不自由ならば尚更です。先の心づかいをして日々暮らしていけば、充実した毎日を送ることができるのではないでしょうか。
  ※◇は、尸に阿。

掲載月 2008/03


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