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「春のお彼岸」
岐阜県・温泉寺住職 岩淺宏観

 二年前のことですが、正月すぎに家内が急に入院をしましたので、私と当時小学校四年生だった息子と約三ヶ月間、二人で生活したことがありました。母親の居ない生活も、子供にとっては自立心を起こさせる絶好の機会だと、私は内心喜んでいたのでした。
 ところが、ふたを開けてみると、息子は学校が終わると毎日少年野球の練習に明け暮れ、休日の土日も遠征。という訳で、家事を手伝わせるどころか、逆に私が送り迎えや、弁当作りで振り回される格好でした。せいぜい風呂の時間に、自分の練習着を洗わせたり、学校の宿題や用意をさせるのが、精一杯。そのうち私も疲れてきて、毎朝みんなでお唱えしていた般若心経も、怠ってしまう日が続きました。
 二人の生活が始まってちょうど二ヶ月程経ち、生活がマンネリ化してきた頃、春のお彼岸がやってきました。怠けていた朝の般若心経の復活と、お墓参りを是非とも息子にさせなければと思いました。お彼岸中は普段よりもお寺が忙しくなりますが、それでも折角の仏教週間でありますから頑張りました。久しぶりにお唱えした般若心経でした。息子がわかったような口ぶりで、
「ギャーテーギャーテー云々の部分がどうしてもわからん」
と言いました。「みんなで一緒に彼岸に渡りましょう!みんなで幸せになろう!」ということだよと、説明しました。ではどうすれば幸せになれるのか、どうすれば彼岸に渡れるのか、というお話になります。

 浄土真宗の詩人、故・木村無相さんの詩です。

たなの上で ネギが 大根が 人参が
自分の出を待つように ならんでいる。
こんなおろかな わたしのために。

 私たちはいつも貪り(欲望)怒り(憎しみ)愚痴という「三毒」の世界をさまよっています。自分勝手な煩悩・欲望は尽きることがありません。ですが貪りを「知足」に、怒りを「慈悲」に、愚痴を「感謝」に浄化するとどうでしょう。煩悩・欲望のままで即彼岸に渡ることができます。木村さんは、自身がネギや大根や人参と何の隔たりもありませんから、こうして自然に手を合わせて感謝できるような詩を詠われたのだと思います。まさしく「知足」「慈悲」「感謝」のつまった詩です。この心をお彼岸と申し上げるのではないでしょうか。
 最初は私の作る食事に文句を言っていた息子も、木村さんの詩を勉強してからは一切文句を言わなくなり、食事の最初と最後にはきちんと手を合わせてくれるようになりました。お彼岸の世界を私も息子も垣間見ることができた、二年前の良き思い出です。

掲載月 2008/03


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