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「命の絆を観られたなら」
大分県・碧雲寺住職 姫野克道

 もし、私たちが、いつでもどこでも命の絆を観る事ができたなら、どんなにすばらしいだろうと思う事があります。
 お父さん、お母さんと私、私とお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、兄弟姉妹と、友達みんなと、もっともっと広げてこの世の生きとし生ける全てのものと、私たちの命が繋がっている事を観ることができたなら、とても有り難くて、すごく心強くて、私の命も他の命もいとおしく思えてくるはずです。私たちが生きているこの世界全ては、どれ一つ取っても、他の力(縁)なくしては存在し得ないものばかりです。
 お釈迦様のお悟りの後の最初のお言葉は、「ああ奇なるかな、ああ奇なるかな、一切衆生悉く皆如来の智慧徳相を具有す」(ああ不思議だ、ああ不思議だ、生きとし生けるもの在りと在らゆるものが皆、如来の智慧と徳を具えている)です。如来とは、命そのものであり、この世の一切のものがその命の智慧とその命の働きによって作り出されたものだと言われたのです。お釈迦様は、この命の絆を観られたのだと思います。
 私たちも、お釈迦様と同じように、この命の絆を観ることができたらいい、誰も殺めたり、傷つけたりできないはずです。硫化水素で命を断ったりできないはずです。皆とつながっている命だから、親からいただいた命だから、次につなげていく命だから、皆のおかげ様で生かされている命だから、いつもいつもその絆が観えているといいなぁ……。
 ミャンマーのサイクロン災害で数知れない被害者が出て、中国四川省大地震で何万人という人々が亡くなられ、何千万人という人々が被災している時、遠くに居て駆けつける事もできず、悲しいニュースばかり見ていると、何か私たちにできる事は無いかと思います。すぐに行動しなければと体を突き動かす何かを感じます。
 私たちは、つながっている命だから、同じ時代に、同じ世界に生かされている尊い命だから、いつもいつもその絆が観えているといいなと思います。
 お釈迦様と同じ様に静かな所で一時(いっとき)坐禅をして、自分の命を見つめてみて下さい。

掲載月 2008/06


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