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「中秋」
島根県・隆興寺住職 柳楽一学

 私の奉職している京都の花園禅塾という大学生の学生寮では、毎年九月になりますと中秋諷経(ふぎん)という行事を行ないます。
 九月と言えば中秋の名月、心有る人達や地域では今もお団子とススキを供えてお月様に祈っておられますね。
 学生達の楽しみはと言うと、その御供えの後の一杯。今も昔も酔っ払いの学生といえばただただ飲んで騒ぐ、まあ男ばかりでコンパになれば仕様のないことかも知れませんが、あまりこれが品が無い。男の品格だとか女の品格だとか言うけれど、やっと大人になった学生には程度がわからず飲み過ぎる者が続出し、前後不覚になるというのがお決まりのコースでした。
 そこで、せっかくお供え物をし、月光菩薩に向かって祈るのだからと、ある年の中秋諷経で、それまでに亡くなった全国の子供達の名前を読みあげたのです。ちょうど大阪の池田小学校の事件のあった頃で、もちろんその子供達の名前も入れて供養しました。
 たまたまその夜は雲間からお月様も顔をのぞかせ、私達を空の上から眺めていました。
 最初にお経を誦み、それから昨年より今年まで一年間に亡くなった子供達の名前を読みあげていくのです。新聞に名前の載った、事件や事故で亡くなった子供達のいかに多いことか。屋上でやっているので暗くてお互いの顔は見えませんが、その場の空気がしんと静まっていくのが感じられます。
 日本でも世界中でも、学生たちの年齢まで生きられず亡くなった大勢の子供達。その子供達の悲しみや痛みを、学生達は共に実感したと思うのです。
 その後の一杯は、まさに供養の一杯になりました。皆大騒ぎすること無く静かに語り合いながら飲んでいます。
 親子が殺し合う社会、他人を無差別に殺す社会、自分さえ良ければと欲望のままに生きる社会、自分さえ良ければと欲望のままに生きる社会があるとすれば、まさに末法の世であると言わねばなりません。
 小さい頃、「お月様にはウサギさんが居て、お餅つきをしているんだよ」とか、「お祈りすると願い事がかなうんだよ」と聞かされたことがあります。餅つきはやっていないようですが、学生たちが亡くなった子供達の分まで精一杯生きてくれて、より良い社会、やさしくて共に生きられる社会を実現できるようにと願わずにはいられません。
 私達大人には今の社会に対する責任があります。まず自分にできることから、少しでも世の中を良くしていきたいものです。

掲載月 2008/09


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