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「みんなちがって みんないい」

大分県・福正寺住職 森哲外


 12月8日、お釈迦さまがお悟りをひらかれた時のお言葉に「すべての生きとし生けるものには仏心が具わっている」と、あります。
 「長者は長法身、短者は短法身」といわれるが如く、長いものは長いままで仏の光明、短いものは短いままで仏のいのちを頂いているのです。姿・形はちがっても、みんなそれぞれ仏のいのちのあらわれです。
 平成18年、大分県川崎小学校二年生の阿部未来(みく)ちゃんが、児童作文コンクールで最優秀の県知事賞を受賞しました。

「みんなちがって みんないい」  
 私は、三歳のころからまゆ毛もまつ毛もありません。免疫しっかんによる脱毛症というびょう気だそうです。月に1回びょういんに通っています。
  お父さんとお母さんは、わたしのびょう気のためならなんでもしてくれます。高いかつらも買ってくれました。
  でも、わたしは「どうしてみんなとちがうのかな。なぜみんなはかみの毛があるのかな」と思いました。
  この間、きゅう食のときに、クラスの友だちから「毛なし」と言われました。クラスの友だちからそんなことを言われたのは、はじめてでした。  わたしは、びっくりして何と言ったらよいかわかりませんでした。そのとき、近くにいた友だちが「そんなこと言ったらいけないよ」と、かばうように言ってくれました。わたしは、いやなことを言われたのはかなしかったけど、友だちがかばってくれたことがうれしかったです。
  このことがあったあと、クラスのみんなで話し合いました。ななこちゃんが「バンダナをかぶってても、みくちゃんはみくちゃんだ」と言ってくれました。あみちゃんは「ほいくえんのときから、やさしくしてくれたからうれしい」と言ってくれたことが、うれしかったです。
  先生は「かみの毛があってもなくても、みくちゃんはみくちゃんだよ」と、言ってくれました。とても、うれしいです。
  先生が「みんなちがってみんないい」という童謡詩人、金子みすゞの詩のお話をしてくれました。先生が「いろんな人がいるんだよ」と言いました。
 わたしは「みんなとちがってもいい。自分は自分だ」と思いました。手や足がなくても、人とおなじじゃなくてもいいということです。「なぜかみの毛がないの」と言われてもわかりません。なりたくてなったわけではないからです。かみの毛がなくてもわたしはわたしなのです。でも、三年生になったら、ぜったいなおりたいです。
  もしも、ほかの人が、気にしていることを言われたり、されたりしているのを見たら、わたしもたすけてあげようと思います。
  「そんなことはやめて。人はそれぞれちがっていいんだよ」と。
 

掲載月 2008/12


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