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春風にのせて

 

愛媛県 ・萬松寺副住職 西田弘範


 春の陽気に誘われて外を歩けば、風に漂う花や草の香りに心が躍る季節を迎えました。お花見など行楽の盛んなこの時期、全国のお寺では時候にふさわしい「花まつり」という仏教行事が執り行なわれます。
 四月八日はお釈迦様ご生誕の日です。花を飾りつけた御堂にご誕生のお姿の像をお祀りし、甘茶をかけてお祝いをします。ご誕生の様子については古くからいろいろと不思議な話が伝えられています。その一つが、今から二千七百年前、お釈迦様は生まれてすぐに天と地を指差して「天上天下唯我独尊」とお唱えになられたという話です。どれほどお釈迦様が特別な存在だとしても事実とはとても考えられません。実際には私たちと同じく「オギャー」と泣かれたはずです。この説話の意味するところは、誰の産声にも言語を絶した命の響きがあり、人間性の尊さへの目覚めが何よりも先立つことを表わしています。字面から誤解を招きがちですが、「私が」「俺が」という我が儘を振りかざす言葉では決してありません。興味深いことに、後にお釈迦様は「天上天下唯我独尊」の続きとも考えられる教えを説かれています。

 お釈迦様存命の頃、インド北東部コーサラ国の王パセーナディはある時、妻であるマッリカー王妃に「自分自身よりもさらに愛しいものがあるか」と尋ねました。王妃はしばらく考えて「自分より愛しいものはありません。王さまはいかがでしょうか」と問い返すと、王もまた「そうだ」と答えました。二人は同じ考えに達したわけですが、その結論はどこか間違ってはいないかと不安になり、日頃から帰依を寄せていたお釈迦様のもとを訪れました。お釈迦様は王の言葉に耳を傾け、聞き終わると偈を説いて教えとしました。

人の思いはいずこへも赴(ゆ)くことをうる
されど、いずこへゆくも自己よりもいとしきはあらじ
それとおなじく、他の人々にも自己はこのうえもなくいとしい
されば、自己のいとしきを知るものは、他を害してはならぬ
(相応部経典三.八「末利」増谷文雄訳参照)

 お釈迦様は自己の人間性の尊いことを根底として、他人の人間性もまた等しく尊いことを説かれました。自分の命の尊さに目覚めたならば、次は相手の立場になることで慈悲の心に目覚めてほしいという願いが込められています。それは人間社会に平和と幸福を実現するための基本理念ともいえる教えでした。今日でも仏の教えを学ぶ上での大切な項目として、特に妙心寺派においては『生活信条』の第二句で同じ内容の教えを檀信徒と一緒にお唱えしています。

「一花開いて天下春なり」
 春が到来した歓喜を表わすこの禅語は、本来は悟りが開けたことを歌いあげたものです。しかしながら、お釈迦様ご生誕の日にこの語を唱えると、お釈迦様が咲かせた悟りの花が世界に遍く広がり、心地よい春風のように人々を安らぎへと導いて下さっていることに、喜びと感謝の念を抱かずにはいられません。皆さまの心にもお釈迦様の春風が届きますように……。

掲載月 2013/04


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