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「『ちりとてちん』とお彼岸」
福井県・海岸寺住職 石崎靖宗

 此岸(しがん)はこちら側の岸で我々凡夫の世界をいい、彼岸とは向こう岸で悟りの世界を指す。ではこちら岸から出発して向こう岸に着いたら、やることはもうないのか。NHKドラマ『ちりとてちん』は落語が題材だが、落語の修行に「終わり」はあるのか。
 修行が進めば上手になるが、修行の道に終わりはない。岸辺をめざして歩いても、岸辺に着くのはほど遠い。
 なかなか岸辺に着かぬと振り向き見れば、なんだめざした岸辺ははるか後ろ。だが前方には行くべき道がさらに伸びている。
 どこまで行っても修行は続く。

修行は彼岸到なり(道元禅師)

 続けてめざすことこそ、すでに彼岸に到着しているのだと道元さんはおっしゃる。
 砂漠を往来する交易商人は、星を目印に進行方向を決めるらしい。星に到着することはないが、星に近づこうとすることによって目的地の町へ着けるのである。そして着いて間もなくまた次の目的地へと星をめざし続ける。彼岸とはちょうど目指す星のようなものだろうか。砂漠の商人が行商で宝物を手に入れるように、修行を通して心も豊かになっていく。
 ところで落語の演目「ちりとてちん」は次のような話。
 何でも知ったかぶりをする男がいた。隣人がその男に一泡吹かせようと、腐った豆腐を「元祖名産ちりとてちん」と称してその男に差し出す。案の定「ちりとてちん」を知っていると彼が言うので食わせると、一口で悶え苦しむ。隣人が「どんな味や?」と聞くと、彼いわく「ちょうど豆腐の腐ったような味や……」。
 修行もこれで完成と澄ましこんでいると、「ちりとてちん」を食わされるはめに。

掲載月 2008/03


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