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「人はなぜ生きているのか」
福井県・圓照寺住職 村上 宗博

 三日間の山登りを終えて登山口に帰ったとき、一緒に歩いた友人が山頂をふり返ってこう言いました。「人間の足ってすごいですね。あそこからここまで歩くんですからね」 。これを聞いて、私は次のような文章を思いだしました。

昭和初期に山に登るといば、何時間も汽車に乗って片田舎の駅に降り立ち、まずそこから登山口まで歩くのだ。その日は近くの民家に泊めてもらい、翌日から山に入る。何日間かの山行を終えて下山すると、また駅まで歩き汽車に乗って家路に就く、これが常だった。そうした中である時、帰りの汽車を待ってホームに立っていると、彼方遠くに登った山が見えた。『あそこまで歩いたんだ』その沸き立つ感慨は何物にも代え難いものだった。

 うろ覚えの文章で、誰がどこに書いたものなのか全く手掛かりはないのですが、人はなぜ山に登るのだろうか、という質問の答えがここにはっきりと示されています。人は山に登って「歩いた」という自らのすばらしい力に震えているのです。そうしてそこから励まされているのです。別な言い方をすると、「人間の足ってすごいですね」というその驚きなのです。
 これを押し進めていくと、「人が生きているのは何のためなのだろうか」という問いに置き換えられます。人は生まれ、勉学し、就職し、結婚し、家庭を築き、そして老いを迎えます。そうした中で一体何を生き甲斐としているのだろうか。それに対する回答は見いだせなかったのです。しかし「人はなぜ山に登るのだろうか」という疑問に対する回答を得て、ハタと気づいたのです。「人が生きているのは自らに秘められた力に感動し、そこから更なる力、励ましを得て、それを喜ぶことが出来るからなのだ」と。
 スポーツに興じ、研究に没頭し、仕事に精を出し、家庭を育む、そうした行為の源は、自らの力に驚き、そこから励まされている姿なのだと今の私には映るのです。

掲載月 2008/04


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