もったいない
(出典:書き下ろし)
本堂から下げてきたお饅頭に所々青カビが生えてしまっていました。先日お供えしたものも、この梅雨時の高温多湿のなかではすぐにカビてしまうようです。そういえば、幼かった頃、カビてしまった饅頭の皮を取り除いて、母は饅頭のから揚げを作っていたことを思い出しました。そんな母の口癖は「もったいない、もったいない」でした。
そのころはこの『もったいない』をよく耳にしたものです。聞いたというより、叱られたというほうが正確でしょう。殊に食事の際には何時もこの言葉で叱られたものです。茶碗のふちに残したご飯つぶ、食べ散らかしてしまった焼き魚。それらを見て母は『もったいない』と私を叱ったものです。食べ物以外の物を粗末に扱ったときももちろんですが、特に食べ物を粗末にしたときにはきつく叱られた記憶が鮮明に残っています。
長じて寺の徒弟となり、師匠と暮らす中でもこの『もったいない』は私を叱る一番の言葉でした。師匠はこの言葉に添えて「すべてのものには仏様のいのちが宿っている。そのいのちを粗末にするとはなんと畏れ多く勿体ないことか」と私を諭し導くことも忘れずにいてくれました。仏典に
「一切衆生 悉有仏性」 あるいは 「山川草木 悉皆成仏」
とある所を、未熟な私に噛み砕いての教示であったと、今にしてしみじみ感じ入ることです。
『もったいない』とは、実は私たちの日常の生活の中にあまねく存在し、私たちの生活を支えてくれているあまたの「いのち」に対して、かたじけないと畏れかしこまることです。更にいうならば、その「いのち」によって生かされている自分に気づき、その普遍なる「いのち」の尊厳に対して云う感謝の言葉でなければならないのです。
残念ながら『もったいない』と私を叱ってくれた師匠も今は他界し、この言葉を聞くこともすっかり少なくなってしまいました。そしてこの日本の社会の中でも、この『もったいない』は死語になりつつあるようです。
ところが、この『もったいない』を予期せぬ人から聞くことができました。その方は2004年度のノーベル平和賞を受賞したケニア出身の女性環境保護活動家、ワンガリ・マータイさんです。マータイさんは今年の2月に来日した際『もったいない』という言葉を知って感銘を受け、この言葉を環境保護の合い言葉として世界に広めることを決意され、3月の国連の会合での演説でこの言葉を提唱されました。その報道記事には
「『もったいない』は消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源 再利用
(リサイクル)、修理(リペア)の4つの『R』を表している」と解説、「MOTTAINA
I」と書かれたTシャツを手に「さあ、みんなで『 もったいない』を言いましょう」と
呼びかけ、会場を埋めた政府代表者や非政府組織(NGO)の参加者とともに
唱和し、さらにマータイさんは「限りある資源を有効に使い、みなで公平に分担
すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」と主張した。
(毎日新聞)
と紹介されています。
このマータイさんの『もったいない』が環境保護のため有意義なキーワードとなってほしいものです。そして、この言葉が物質的な事柄だけに捉えられるのではなく、そこには尊い「いのち」のおかげがあるのだと私たちが気づくようになれば、これほど有り難いことはないでしょう。そしてまた私たちは「限りある資源を有効に使い、みなで公平に分担すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」とのマータイさんの言葉の、「資源」を「いのち」と置き換えて、今一度よく噛みしめてみる必要があるでしょう。