法 話

手間をかける
書き下ろし

静岡県 ・東國寺副住職  塚原史方

myoshin1205b.jpg 新緑が芽吹き、新茶の最盛期を迎えました。私が小学生であった30年程前、この時期になりますと、私どものお寺から小学校までの通学路は、新茶を揉む香りと、茶工場の機械の音が鳴り響いていました。
 しかし、近年では、町内で動いている茶工場はほとんど無くなり、お茶の香りも機械の音も、ほとんど感じられなくなってしまいました。自分たちでも、お茶を急須から入れる機会が少なくなりました。簡単にペットボトルなどに入ったお茶を購入することができるようになったからでしょう。 さて、豊臣秀吉に以下のお話があります。
 秀吉が鷹狩りを行ない、近くのお寺に立ち寄られ、お茶を所望しました。するとそこのお寺の小僧は、まず大きな茶碗で、七・八分目ほどのお茶をぬるま湯でお出しします。秀吉は、これを一気に飲み干し、お代わりをくれないかと頼まれます。すると、その小僧は、少し熱めにして、量は湯飲み半分以下にして、お出しします。すると、秀吉はこれも飲み干し、さらにもう一杯所望しました。そこで、その小僧は、小さな茶碗を用意し量を少なくして、先ほどよりもさらに熱くしたお茶をお出しします。このもてなしに深く感心された秀吉は、その小僧を連れて帰り家臣としました。その小僧こそ、後に五奉行の一人となる石田三成です。
 一杯目は、喉の渇きを潤すことに重点を置き、一気に飲んでもやけどしないようにとぬるま湯でお出しする。二杯目は、喉の渇きは潤されたので、落ち着いて本来のお茶の味を堪能できるように、少し熱めのお茶を先ほどより量を少なめにしてお出しする。三杯目は、心も喉も潤されたので、量もさらに少なくし、締めの一杯として熱めにお出しする。それら三杯には、お湯の温度の低い順から味わえる、甘さ、渋さ、苦さという点でも、もてなしたのではないでしょうか。
 現在、市販されているお茶の種類も様々です。色々な美味しさを味わうことができます。そして、人々は手間を惜しむ傾向にあります。しかし、急須から入れたお茶には、香り、味などの点で適いません。手間をかける分だけ、心をこめることになり、香りと味が合わさって心を和ましてくれるはずです。
 この時期だからこそ味わえる自然の恵みを、手間と時間をかけて、五感で味わってみませんか。