法 話

おのがひかり
書き下ろし

山梨県 ・円光院副住職  武田一宏

冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原(みずはら)秋(しゅう)櫻子(おうし)

 myo_2211a_link.jpg空襲で故郷が焼かれ、八王子(東京都)へ疎開した際に詠まれたものです。夕日も去り、菜園に育てた周りの花も枯れ、深い靄の日に、白い冬菊が咲いているという光景です。
 あるかないかの僅かな光を受ける冬菊に自分自身を投影し、たとえ何もかもが無くなっても、自分に救いがあることを信じ、自らが輝くように努めて生きていこうという句です。
 お釈迦様が涅槃に入られるとき、阿難(あなん)尊者は「私はお釈迦様の亡き後、何をたよりに生きればよいのでしょうか」と尋ねました。お釈迦様は「自らを灯明とし、自らをたよりとせよ、他をたよりとしてはならない」と仰いました。
 阿難尊者はお釈迦様の十大弟子の一人であり、約二十五年間侍者を務めたため、お釈迦様の説教を記憶している点では門弟中随一といわれる人物です。そのような人物でも、他から光を貰うことに気を取られてしまい、おのがひかりを見失うことがあるように、私たちにも自分以外の何かにたよろうとすること、救いを求めようとすることは経験があるでしょう。

 剣術の流派である北辰一刀流の創始者千葉周作の修行時代の話です。ある夜、周作は若い衆に誘われて魚や貝を取りに沖へ出たのですが、案内人が方向を見失うという事態に見舞われました。松明を煌々と灯しても岸は全く見えません。困り果てていると、周作の耳にかすかに千鳥の鳴く声が聞こえました。千鳥は干潟の鳥。耳を澄ましてその方向に進むと岸にたどり着くことができたのです。
 若い衆の主人は事の次第を聞いて、「馬鹿者どもなぜ松明を全て消さなかったか」と叱りつけます。「松明は近くを明るくするもの、目がやられて遠くは見えなくなってしまう。周りに光が無ければ、どんな闇夜でも目は慣れて、沖と岸の見分けくらいは自ずとつくものだ」と言うのです。

 同じ場所に居ながら、千葉周作だけが千鳥の声に気付いたのは、松明にたよらず、今の自分に何ができるだろうかと、自分自身と向き合えたからだと思います。
 救いは既に自分の中にあるのに、松明を消せないで迷っているのが私たちです。松明で道を照らしているはずが、自分にもともと宿るおのがひかりを見失わせているのです。
 闇夜は、先の見通せない私たちの日暮らしのようです。生きていれば、暗黒の闇に突き落とされることもあるかも分かりません。そんなときも、懸命に自分を活かそうとしている自分がいます。「おのがひかり」という自分に、常に生かされている自分を知り感謝することで、私たちは、自分をそして周りをも本当に活かしていくことができるのではないでしょうか。
 水原氏が冬菊を通して自分を見つめたように、私たちも「おのがひかり」を見失わず、自らが輝く生き方がしたいものです。