法 話

カエルが教えてくれた事 随所作主立処皆真
書き下ろし

静岡県 ・長永寺住職  永田明徳

 myo_2306a_link.jpgあれもしなければ、これもしなければと、忙しく動いておりますと、気が付けばもう六月、今年も半分経ったのかと時の流れの速さを感じます。
 毎年のことではありますがこの時期は梅雨入りをしてジメジメするので、早く明けて欲しいという思いと、梅雨が明ければいよいよ暑くなるという思いがせめぎあい、なかなか悩ましい時期でもあります。

 そんな私の思いをよそに自坊の裏にある池からは、夜になるとカエルの大合唱が聞こえてまいります。このカエルの大合唱を聞きますと、修行時代、カエルが私に教えてくれた禅語「随所作主立処皆真」を思い出します。「どのような状況にあっても自己の主体性を失わず、仏性を自覚することができれば、その時、その場所がすべて真実となる」という、臨済義玄禅師のお言葉です。
 道場に生息していたカエルはモリアオガエルという種でして、山中の水の綺麗なところで生息をし、日本の各地で天然記念物にも指定されている綺麗な緑をした珍しいカエルです。私が修行をさせていただいた道場は京都市内にありますので、このカエルが市内の道場にいるのはとても珍しく、また道場の環境が昔からずっと変わらないで続いている、ということの証明でもないかと感じます。道場の住職、老大師の部屋の前には小さな池があり、そこにこのカエルは生息しておりました。朝から晩までほとんど動かずただじっと同じ所に座っているなんとも不思議なカエルでした。
 老大師の部屋に入るには必ずその池の横を通らなければなりません。私が隠侍(老大師の身の回りのお世話をさせていただく役)を仰せつかってしばらく経った時のこと、ようやく仕事にも慣れてきて気持ちに余裕が出てきたにもかかわらず、最初の頃よりも先輩や老大師からお叱りを受けることが増えてきました。どうして叱られるのだろうと思いながら、毎回その池の横を通るたびに、そのカエルを見ては「お前はいいよな、叱られもせず、ただぼーっと座ってるだけで」と少し八つ当たりのような視線を向けておりました。
 ある時老大師が私にそのカエルを指差して、「あれを見ろ、カエルが一所懸命どんずわっているぞ」と仰ったのです。その言葉を聞いた時、ふとある事に気がつきました。私の中でそのカエルはただぼーっと座っているだけだと思っておりましたが、カエルなりに精一杯、一所懸命座っていたわけです。そのくせ私は仕事に慣れてきたことをいいことに、隠侍として今ここを一所懸命に務めることを疎かにしていたのです。カエルはずっとその姿を私に示していてくれていたにも関わらず、「お前はいいよな」と八つ当たりのような視線を送っていた。お恥ずかしい限りです。

 私は私なりに、カエルはカエルなりに、それぞれ今の立場で今ここを一所懸命に向き合うことが「随所作主立処皆真」です。今年も残り半年、一日一日を大切に、このカエルの如く一所懸命向き合い務めてまいりましょう。