法 話

安らぎへの一歩
書き下ろし

栃木県 ・光明寺住職  渡邉徹範

 myo_2307a_link.jpg七月に入りますと富士山が山開きをしたというニュースを耳にします。毎年多くの登山客が訪れ、特に山頂でご来光を拝むことを目標に一歩一歩、歩みを進める方が多いのではないでしょうか。

 日本における禅僧で最初に国師号を授かった鎌倉時代の禅僧、大應国師の語録に「歩歩(ほほ)是れ道場 処処(しょしょ)皆な浄邦(じょうほう)」という言葉があります。「大事なのは一歩一歩着実に歩みを進めることであり、どの場であってもそこが心安らぐ地である」という意味です。
 正しく富士登山は、一歩一歩着実に大地を踏みしめ、歩みを進めた先に心安らぐ世界があらわれるのだと思います。

 今から十五年前のこととなりますが、私も一度富士登山に挑戦しました。その時の登山計画は、昼過ぎに「吉田ルート」の五合目から歩き始めて八合目まで登り、そこの山小屋で夕食と仮眠をとり、ご来光にあわせて山頂を目指すというものでした。
 登山をスタートし、八合目の山小屋までは何事もなく順調に進みました。ところが、山小屋で夕食を食べたあと、急に頭痛とめまいに襲われました。
 そうです、高山病になってしまったのです。出発までには仮眠の時間があったので、少し眠れば回復するだろうと思ったのですが、仮眠後も状態は変わらず、一時はリタイアすることまで考えました。ですが、我慢できない程ではなかったことと、どうしても山頂でご来光を拝みたいという強い思いから出発することにしました。
 歩き始めますと、八合目まで勢いよく登って来たペースが嘘のように、高山病の影響からか一歩一歩大地を踏みしめ、ゆっくりゆっくりとしか前に進むことができませんでした。それでも何とか歩を進めたのですが、予定していたペースからずいぶんと遅れてしまい、残念ながら山頂を目前にして日の出の時刻を過ぎてしまい、ご来光に間に合いませんでした。
 私としては、どうしても山頂でご来光を拝みたかったので、とても悔しい思いはありましたが、仕方がないのでその場で日が昇っていくのを眺めていました。
 すると、富士山の裾野に広がる雲海の雲の色が何とも言えない綺麗な色に染まり、それはそれは素晴らしい光景が目前に現われました。その光景を眺めておりますと、悔しい思いや体が辛いことなど、どこかに消えてしまい、ただただ心安らかな気持ちになったことを今でも憶えております。
 当時の私は山頂に辿り着くことばかりにこだわっていました。今思えば、何も頂上だけが富士山ではなく、五合目だって、八合目だって、山頂目前の場所だって富士山です。どこでも道場です。
 今、ここの一歩一歩の歩みを確実に進める「歩歩是れ道場」であれば、その場がそのまま「処処皆な浄邦」、心安らかな場になるのです。高山病は大変辛い経験でしたが、そのおかげで、足元の大切さに気づけた富士登山となりました。