法 話

禅門の教えからフードロスを考える
書き下ろし

京都府 ・西林寺住職  村井俊哉

 myo_2308a_link.jpg先日とあるコンビニへ寄りましたら、商品棚に並べられたおにぎりやお弁当を、店員さんが買い物かごに次々と投げ込んでいる光景に出会いました。消費期限の切れた商品を廃棄し、新しいものと入れ替える作業の最中だったわけです。顧客と食の安全を第一に考え、充分なセーフティマージンを取るべくの廃棄ですから、一概に批判めいたことは言えません。そうと分かっていながら、何かしら悲しいような、切ないような気持ちになりました。

 皆さんは食べ物をいただかれるとき、そのありがたさを充分に感じていらっしゃることと思います。幸いにも日常的に食べ物を手に入れることができ、満腹を感じることができる恵まれた状況にあると言えるでしょう。しかし、同時に世界中には飢えや食糧不足に苦しむ人々が存在するのもまた事実です。
 冒頭にあげたコンビニ業界は、昨今積極的にフードロス対策に乗り出していると聞きます。「フードロス(まだ食べられる食品の廃棄)」とは、無駄な消費によって起こる問題です。私たちは食べ物を無意識に浪費し、その結果として多くの人々の飢えや栄養不良に、図らずも加担しています。この問題に目を向けるとき、禅門の教え・修行の一つである「精進料理」に思いをいたすのであります。
 精進料理は、仏門修行の一環として行われる料理法であり、食材を大切に扱い、無駄を省いた料理を作ることを目指します。この考え方は、食べ物をありがたく受け取り、命を無駄にせず浪費せず、大切に使うことを教えてくれます。

 例えば一般的によく知られている「飛龍頭(ひりょうず)」という料理。豆腐にいろいろな野菜を練り込み、油で揚げたおいしいお料理です。市販されているものはそれ相応に贅沢な食材が使われています。けれども元はと言えば、他の料理から出た豆腐の残りや野菜の切れ端を無駄にせず、すべてをありがたくいただくために生まれた料理法です。

 私たちは、日々の生活の中で精進料理の考え方を取り入れることができます。買い物をする際には必要な量を考え、無駄なく使用できるようにすること。また、食事をする際には感謝の気持ちを忘れずに、一粒一粒の食べ物を丁寧にいただくこと、など。

 禅門では食事の前に「三匙の偈(さんしのげ)」というお経を読みます。

一口為断一切悪(一口食べては一切の悪行を断ち)
二口為修一切善(二口食べては一切の善行をなし)
三口為度諸衆生(三口食べてはすべての生きとし生けるものを救い)
皆共成仏道(そして皆がともに仏道に目覚めることをつとめよう)

 食べ物は言うまでもなく、食べるという行為自体も無駄にしてはならぬという教えでありましょう。
 フードロスは食べ物の大切さを再認識する機会でもあります。私たちが食べ物を無駄にすることなく、大切に使うことは、他の人々の命にも繋がります。禅門の教えを胸に、感謝の気持ちを忘れず食べ物を大切にいただかねばならぬと、自戒を新たにするのであります。