和歌山県 ・聖福寺住職 関守研悟 |
朝晩は随分涼しく、秋たけなわの好時節となりました。私の住んでいる田舎寺は山の中にあります。この季節になると私は「ちいさい秋みつけた」を口ずさみながらよく境内を掃除します。そうすると、車に乗って移動する時には分からない様々な動きがあることに気づきます。 一葉落ちて天下の秋を知る (『淮南子』「説山訓」) 目の前に落ち葉がはらりと落ちる。それは小さな、なにげない自然の一風景です。忙しくて慌ただしい日常を過ごしていると、つい気づかずに通り過ぎてしまうような、かすかな自然の動きです。 「大いなるかな心や」 本来の心とは何と広大なものであろうか。天空の高さはきわまりないが、本来の心はその高さを超えている。 大地の厚さは測ることができないが、本来の心はその厚さを越えている。 (『興禅護国論序』意訳) おおきな心を持てば、時間を超え、空間を超えて自由自在にこの世をかけめぐることができます。子どもに会えば子どもの気持ちになれます。お年寄りに会えばお年寄りの心に寄り添ってゆけます。 |