法 話

心頭を滅却すれば火も自ずから涼し
書き下ろし

東京都 ・金龍寺副住職  並木泰淳

 新型コロナウィルス禍のために、私の住む浅草では三社祭や隅田川花火大会など折々の催事が中止や延期になりました。そうした行事が季節を味わい深いものにしてくれていたことに気づかされながら、日々生活を送っています。
    
 主題の句は、中国の唐代の詩人である杜筍鶴が『夏日、悟空上人の院に題す』として詠みました。

三伏門を閉して一衲を披す
兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
安禅は必ずしも山水を須いず
心中を滅得すれば火も自ずから涼し

 暑さのもっとも厳しい時期に、悟空上人はお寺の門を閉ざして、炎天下の簡素な寺の中で法衣を纏って坐禅をしています。その様子を見ると、涼しげで静かな山中でなければ坐禅に適さないのではないことを知ります。心中を滅得すれば(迷いや憂いを滅して、しなやかにものごとを受け止める心を見出せば)、暑さを分別することなく暑さとして単に受け取り、淡々と過ごすことができるのです。

 時代が下り、宋代に圜悟克勤禅師によって編まれた『碧眼録』に

安禅は必ずしも山水を須いず
心頭を滅却すれば火も自ずから涼し


と引用されます。

myo_2007a_link.jpg 去年の隅田川花火大会のことを思い出しました。
 豪雨や台風に悩まされる毎日に疲れた土曜日の夕方、ふと外出すると浅草の街には浴衣姿の人が溢れていました。
 隅田川花火大会かと気づきましたが、寺で飼っている犬が吠えるな、明日は門前にゴミが捨てられているだろうな、どうせ高いビルに囲まれて見ることはできない花火に興味も示さずに文句を言っていました。
 大きな打ち上げ音の最中、七歳の娘にせがまれ大通りのコンビニまで行くと、大通りに人だかりができています。次の瞬間、大きな花火が目の前に広がりました。どうせ高いビルに囲まれて見ることはできないと決めつけていた私の心に白色の花火が色鮮やかに映りました。オリンピックの建て替えラッシュに伴ってビルが取り壊されたおかげで、きっと今年だけ観ることができた花火を町中の人が嬉しそうに見つめていました。
 日に日に成長する娘を久しぶりに抱き上げて重さを実感し感慨深くなりながら、次々に上がる花火に心を奪われていました。暑い日が続いて心ここにあらずで愚痴をこぼし、心がどこかにいってしまっていましたが、鮮やかな花火と重くなった娘のおかげで、迷い彷徨う心を自分の身体に戻すことができました。

 暑さ寒さをはじめ、自らに降りかかるものごとを、あれやこれやと考えていると迷いを募らせます。「心頭を滅却する」とはそうした迷いを一旦忘れ去ること、「火も自ずから涼し」とは身に降りかかるできごとを受け入れ、鮮やかに生きていくことだと思います。
 花火は、お盆に有縁無縁のご先祖様を慰める行事だともい云われます。それだけでなく、花火には暑さで迷う心を調えるはたらきもあるのではないかと勝手に想像した次第です。

 来年こそは、季節の移ろいを肌で感じ、諸行無常を鮮やかに味わいたいものです。