法 話

心の持ち方を考える
書き下ろし

福井県 ・大安寺副住職  高橋玄峰

 新年あけましておめでとうございます。昨年は、新型コロナウイルス感染拡大に翻弄された一年でした。そして今なお、予断が許されない状況は続いています。その影響もあって、お寺の年末年始の行事参拝の対応も様変わりしました。ですから、今まで無事に年を越しお正月を迎えることができていたことを改めて有難く感じます。

門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

 誠に一休禅師のこの歌が心に染みるお正月です。
 門松は神様の依り代である縁起物ですが、正月を迎えたということは一年が過ぎたと同時に、一歩死に近づいたことでもあります。何事も表裏一体、観方ひとつで縁起物にも冥土の一里塚にもなるように、私たちが普段から自分の意に叶った「ご縁」だけを都合よく選び取ろうとしていることへの一休さんの警鐘とも取れます。
 そう考えると、私たちは心の受け止め方で、物事の受け止め方も変わっていきます。そして、その心の持ちようが、一日の一分一秒を作り、その積み重ねが私たちの人生を作っていくのです。コロナ禍だからこそ、今一度自分の心の持ちようを見つめることが大切です。

myo_2101a_link.jpg お寺の法話会に参加されている一人の女性がある日こんな話をしてくれました。
 「和尚さんこれまで私は、思い違いをしていたようです。自分にとって便利だと思っていたものが、実は自分の世界を狭めていたことに、あることを切っ掛けで気付かされました」。
 その切っ掛けとは免許返納の事でした。その女性は、現在80歳。数年前に息子さんから母親の身を案じ、免許返納のお願いをされたそうです。実際、私の住むところは田舎なので公共交通機関は、まだまだ充実したものではありません。一人暮らしの女性にとって現実的に厳しいお願いでしたが、話し合いの結果、返納を決意されたそうです。

 当初は、車の無い生活に不便さを感じもどかしい日が続きました。最寄りのバス停も、自宅から歩いて20分ほど。女性にとっては少し堪える距離です。ですが、この徒歩とバス生活こそ女性の心に変化を生みます。
 車ですと、人と接する機会はあまりありません。しかし、バス停までの道のりでは大勢の方と触れ合う機会が増えたそうです。
 「最初は挨拶を交わす程度でしたが、今ではバスの時間も忘れて立ち話をするほどに仲良くなった人までいるんです」。
と楽しそうに話す女性。そして、ある大雨の日に、傘を差しながらふらつく女性の姿を心配した女子高生二人が、「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれバス停まで手を取って同行してくれそうです。

 「今まで私は便利だの不便だの、自分の都合だけで生きてきた。それが実は、自分の世界をかえって狭めていました。免許を手放した時は、不平不満ばかりを募らせていたけれど、今では前以上にご縁が広がり、人の温もりを感じる機会が増えていることに気付きました。今でも、あの女子高生の優しさと温もりが忘れられないし、久しぶりにあの時、生きている実感を覚えました」。

 女性にとって、免許返納は「めでたくないご縁」であったのかもしれません。しかし、人の温もりを感じていく中で思い違いだったと気付き、いつの間にか「めでたいご縁」に変わっていたのです。
 人生は受け入れがたいご縁と向き合うことも多いですが、 その不幸や不満を幸せや安心に昇華させられるのもまた、 他でもない私自身だということを忘れてはいけません