法 話

どうぞ、どうぞ
書き下ろし

大分県 ・願行寺住職  入不二香道

 myo_2109b_link.jpgまだまだ残暑の厳しい時節ですが、朝晩は風が心地よく感じるようになりました。日中は、元気のよい蝉の鳴き声が夏の名残を感じさせてくれます。日暮れを境に鈴虫の鳴き声が秋の訪れを教えてくれます。季節の移ろいを五感で感じることも「禅の暮らし」といえるでしょうね。
 9月に入りますと、果実や木の実を始め、田んぼも畑も収穫の最盛期を迎えます。俳句では、このことを「豊の秋」という言葉で表わすことがあるそうです。この「豊」という字は、五穀豊穣や豊作や豊年、豊漁などの言葉に使われるように、ゆたか・たっぷりある・ふくよかといった意味があります。「豊の秋」という季語を用いた俳句には、自然の実りに感謝する私たちの心の豊かさや、自然に対する敬意を詠ったものが多くありました。
 
 秋の風物詩のひとつに「仲秋の名月」があります。旧暦の8月15日、今年は9月21日がその日にあたります。私の住む地方ではお月様にお供え物をして(お月様に見立てた団子や蒸かしたさつま芋をお供えする家が多いです)収穫に感謝する行事が古くから続いています。そのお供え物は、地域の子ども達が家々を訪ねてもらって歩く習慣が今でも続いています。今でこそ、飽食の時代と言われますが、私が子どもの頃は、各家をまわり、団子一つ、さつま芋一つもらえることがとても嬉しかったことを覚えています。収穫した物をお供えし、地域の子ども達に分けるという行ないは、独り占めすることなく、皆なと共に実りに感謝するという、自然への敬意や人々の心の豊かさあってのことだと思います。
 
 秋が深まりますと、うちのお寺の参道には、甘くてゴマのふいた柿が沢山実ります。もいで近所の方にお配りしますが、収穫の方法にも一つだけ決まり事があります。柿を全て収穫するのではなく、てっぺんあたりの柿と手の届く範囲の柿は残しておくという決まりです。この決まりは、子どもの頃に祖父がそう教えてくれました。全て独り占めするのではなく、高い所の柿は野鳥の食べ物として残し、手の届く範囲の柿は、誰かがもしお腹がすいていたら自由に取って食べてもらうためだと教わりました。うちのお寺の柿は売り物ではないので、どなたでもどうぞ召し上がってくださいという気持ちと、皆なが自然の恵みに感謝し、生きとし生けるもの皆なでいただく事が大切なのでしょうね。

 古くから私たちは、秋の実りを皆なで分かち合い、喜びに換えてきました。「実り」とは食べ物だけでなく、私たちがこれまでに経験した知識や体験もその一つです。自分の中で実ったものを、周りの人や社会のために役立てていただく行ない、「どうぞ、どうぞ」という豊かな心を忘れずに日々過ごしたいですね。