法 話

十夜ヶ橋(とよがはし)
書き下ろし

愛媛県 ・城願寺住職  五葉光鐵

 大洲市は今も古い町並みが残っている城下町です。今から約1100年前、弘法大師は衆生済度のため四国の各地を行脚されましたが、この大洲の町外れにも弘法大師ゆかりの番外札所十夜ヶ橋大師堂が祀られています。

 これは私が小学校の頃の話です。遠足でその十夜ヶ橋を訪れたことがあり、そこで担任の先生が十夜ヶ橋の説明をしてくれたのですが、おおむねこのような内容でした。

myoshin1611b-02.jpg 弘法大師が大洲を訪れた際、途中で日が暮れたので、その辺の民家を一軒一軒廻って一夜の宿を乞われたのだが、お大師さまを泊めてくれる家が一軒もなかった。そこで仕方なく大寒の日にもかかわらず橋の下で野宿をしたところ、その晩は寒さとひもじさのためにまんじりともできなかった。一夜とはいえ夜明けまでが十夜の長さに感じられたということからこの橋を「十夜ヶ橋」と名付けられた。
 そのことから他所の人に、お大師さまほどの偉い人を泊めなかった大洲の人たちは薄情だとからかわれることがあるが、先生も知らない人を家に泊めると怖いから泊めないなぁ、と。

 また、この橋の下には弘法大師が横たわって休んでいる野宿像が祀られているのですが、そこで先生は、この橋の上を通る時には、睡眠不足のために疲れて眠っているお大師さんを起こさないよう靴を脱いで裸足で歩き、杖はついてはいけない。そうしないとお大師さまの罰が当たると、先生は子ども達を退屈させないようジョークを交えながら面白おかしく話されたので、子どもたちもゲラゲラ笑って聞いていました。

 実を言うと私は大人になるまでその話を信じていたのですが、ある時、大学の友人が県外からはるばる訪ねてくれて、どこかへ案内してくれと言うので、十夜ヶ橋へ連れて行ってやりました。私も十夜ヶ橋を訪れるのは小学校以来のことであり実に10年ぶりです。
 友人と橋のたもとを歩いていると、ふと橋のたもとの句碑に目がゆきました。そこに刻まれていたのは、この橋の下で弘法大師が詠まれた歌であると知りました。

   ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば
    一夜も十夜の 橋と思ほゆ

 その時私は、初めて弘法大師の真意を知ることができました。実はお大師さんは寒さや空腹のために眠れなかったわけではなかったのです。
 旅の出家に一晩の宿を貸すことも惜しむ人達の心はどんなにか貧しかろう。この村人の心を明るく温かくできる方法はないものだろうか。いかにすれば皆が助けあい、与えあっていけるような生き方を伝えて、仏心の素晴らしさを分かってもらえるだろうか。
 もしこの冷たい村人達を救わずして、この場所を立ち去るならば、これほど申し訳ないことはないと一晩中思案していたら、一夜がまるで十夜ほどの長さに感じられたという、お大師さまの情け深い御心を表わすお歌だったのです。

 このことに私は大学生ながら感動しました。それと同時に、橋の上ではどうして履き物を脱いで、杖をついてはいけないという本当の理由も理解することができたのでした。