法 話

栄西禅師800年遠諱を迎えて
書き下ろし

京都府 ・興雲庵住職  坂井田泰仙

rengo1407.jpg 7月を迎え、建仁寺があります京都市内も盆地特有の蒸し暑さが増してまいりました。今から799年前の建保(けんぽ)3年(1215)、7月5日、この地において建仁寺開山栄西禅師は静かに示寂(じじゃく)されました。本年は禅師示寂よりちょうど800回目の大遠諱(おんき)にあたります。 
 禅師は中国宋の国で臨済禅を学ばれましたが、その宗祖である臨済義玄(ぎげん)禅師の語録『臨済録』に次のような言葉がございます。「心法形無うして十方に通貫す(しんぽうかたちのうしてじっぽうにつうかんす)」。心法とは仏様のような心、すなわち仏心をさします。仏心には決まった形がないからこそ自由自在に働き、時間と空間を超越し、大宇宙の隅々にまで行き渡ることができるという意味です。
 これは禅師が建仁寺を創建されて間もない頃のエピソードです。建仁寺は鴨川の東側の土地に創建されましたが、往時の鴨川の河原は現在よりもずっと広く、建仁寺は河原の端に在るのと同じような状態でした。そこで、ある人が「建仁寺は鴨川の河原に近いから、いずれ水難に遭う危険がありますよ」と忠告したといいます。すると禅師は「お寺が水難で流れてしまっては困るなどと、私は考えたこともありません。インドの祇園精舎でさえ、わずかの時間で消えてしまいました。けれどもあの地に精舎を建てた功徳は今に至っても消えることはないのです。この建仁寺の伽藍がたとえ水難で流れたとしても、私が伝えた仏法が消えてしまうことはないのです」と静かに答えられたといいます。  
 禅師はまさに命を賭して宋の国に2度お渡りになり、禅の教えを初めて我が国に伝えられました。禅宗は別名「仏心宗」とも言われるように、お釈迦様が開かれたお悟りの心を、師から弟子へと直接伝えていく教えです。この仏心とは大いなる慈悲にあふれた心であり、全ての悩み苦しむ人々に救いの手を差し伸べていく心です。
rengo1407-1.jpg 禅師は非常に戒律に厳しいお方でしたが、その大いなる慈悲心によって多くの民衆をお救いになられました。そのお心は目に見える形はありませんが、着実に我が国に根付き、人々の心に仏心を芽生えさせたのです。ですからお寺の伽藍がたとえ水難で流されようとも、自らがお伝えになられた禅の教えは決して消えることはなく、時間と空間を超越し、この地で永遠に生き続けていくのだと禅師は断言されたのです。
 以後、この禅師のお心は800年の時を超え、今日まで脈々と受け継がれてまいりました。禅師がお手植えされたという開山堂前の菩提樹も今もなお、青々と葉を茂らせております。これからもこの教えが十方世界の隅々にまで広がっていくことを心より願いながら日々精進をしてまいりたいと思います。