法 話

夢の大切さ、学ぶことへの感謝
書き下ろし

・永明院住職  國友憲昭

rengo1504.jpg 天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために、夢窓国師にお願いして建てられました。
 夢窓国師はその生涯を通して、人々の幸せを願っておられました。ですから、天龍寺を建てられたほか、日本各地に68もの安国寺を建てられました。当時は戦乱が続き、人々のこころには何の希望もなく、なげやりになっておりました。そんな人々に、夢のある未来を作ろうとしたに他なりません。
 
 私が中学生の頃、大きな夢がありました。それは、アメリカに行って広告デザインの勉強をすることでした。
 大学4年生の時、一度向こうへ行ってみましたが、英語が全く通じませんでした。これでは駄目だと感じ、満を持して、25歳の時にアメリカへ渡り、サンフランシスコのアカデミーアートカレッジを2年半かけて卒業しました。その年の9月にはアメリカの中堅広告会社に入社いたしました。いよいよ念願かなって、アメリカの広告会社で働き始めます。しかし、異なった文化の中で働くということは大変なことでした。まず私がやった事は、日本人であるということを一度捨てることです。アメリカ人の心になりきること。そしてもう一度自分のルーツ、日本人であるということを再確認し、バイリンガルに徹する事です。
 この"バイリンガル"とは、「言葉のバイリンガルではなく文化のバイリンガルになる」ということです。一つの考えより、二つ三つと、より多くの他面的な物の見方、考え方ができた方が、より良いものを創造する力があるということです。
 アメリカ人社会の中で、インテルやヒューレット・パッカードなどのコンピューター関係や、ピーターベルトというトラックやトレーラー、コマツの大型工事車両など、多くの広告を手掛けました。その広告会社で、日本人は私一人でした。アメリカ人の中で、自由闊達な考え方で文化のバイリンガルを遺憾なく発揮し、2年を過ぎた頃には、ニューヨークで広告の賞を頂くまでになりました。
 私自身、自分ひとりの力でこのような賞を取ったとは考えておりません。支えてくれた父や母、姉達の理解があったからこそです。そして自分がどうしても諦めなかった夢があったからに他なりません。

 禅のことばに、「人人悉ク道器ナリ」(にんにんことごとくどうきなり/瑩山紹瑾『伝光録』より)というのがあります。これは、「この世に生まれてきた人は誰でも、仏道を極める可能性を兼ね備えている」という、努力する事によって、もともと備わっている可能性が開かれるということです。
 自分は特別の人ではありません。皆さんもそうです。しかしどんな人にも、生まれながらに夢を成し遂げる力があるということです。自分自身に自信を持ちなさい。道は必ず開けます。
 ある人はお医者様になる夢、ある人は消防士、ある人は先生になろうと夢を見ています。また、私のように外国に行って働きたいと思っているかもしれません。その夢は努力によって現実となって、自分のものとなるのです。

 今、世界はたいへんな時代を迎えています。環境では地球温暖化で南極や北極の氷が溶け出して、動植物の世界に異変が起こり、ツバルという島国は水に飲み込まれようとしています。中東においては、イスラエルとパレスチナは未だに暗く長いトンネルの中におります。経済では、度々起こる世界同時経済恐慌。リーマンブラザーズから始まって、日本においても多くの企業が倒産の憂き目に遭い、やっと回復の兆しが見えてきたに過ぎません。
 こんな環境の中で、我々人間は本来持っている優しい心、人を思いやる気持ちを忘れて、ただ自分さえ良ければ人には無関心という人が増えているのではないでしょうか。
 仏教の世界。それも我々大乗仏教の世界観というのは、自分も済われ、そして自分の周りの人達も済おうというものです。この基本に立ち返り、自分がこの社会、そして他の人から何かをしてもらうのではなく、自分自身がこの社会に何をしてあげられるか、そして自分の周りの人に、何をしてあげられるのかを考えて下さい。
 自分があってこの社会があるのではなく、「この社会に自分が生かされている。周りの人々によって自分が生かされている」と考えてください。
 夢は無限に広がりますが、そのために自分がこの社会に今、貢献できることといえば、これからの夢を現実にする為に、学ぶことです。
 世界には、学びたくても学ぶことができない10歳未満の就学児童が、200万人以上いるといわれています。
 幸いなことに、私達は自由に学ぶことができる日本という国におります。その事に感謝しなくてはなりません。
 他人を思いやる気持ち、そして感謝の心を持って人に接するならば、人は感謝の念を持ってあなた達に接してくれます。
 この輪がどんどん広がってゆけば、この世界は平和の輪で包まれるのではないでしょうか。