法 話

陽にも留まらず、陰にも留まらず
書き下ろし

神奈川県 ・正福寺住職  松原行樹

rengo1505.jpg 五月晴れの空に青葉若葉が鮮やかに萌える時節となりました。咲き誇っていたさくらの花も散り、その姿は薄紅色から緑色へ、季節は晩春から初夏へたすきがつながれました。
 お寺からほど近いさくら並木を歩いていると、ついひと月ほど前まで大勢の人が花見を楽しんでいたこの場所で、さくらは爽やかな風と太陽の光を浴びて、何とも気持ちよさそうに枝をたなびかせていました。
 花見の頃には、レジャーシートを広げてお手製のお弁当を頬張る家族、のんびりと歩いては立ち止まり、優美な景色に感嘆の吐息を洩らす人々、そして静かに着地した花びらを拾い集めては舞い下ろし、花吹雪を楽しむ子どもたちであふれ返ります。そんな世間の賑わいとは裏腹に、私は体調を崩して花見ができず、布団の上でさくら並木を思い浮かべては、世間から置き去りにされて、取り残されたような気分になりました
 『槐安国語』という禅の書物に、「陰陽不到の処、一片の好風光」という言葉があります。陰と陽を相比べることなく、どちらにも偏ることがなければ、すばらしい景色となるということです。
 私たちは「陰と陽」「悪と善」「損と得」などと物事を二元的にとらえては迷い、そしてそのどちらかを選り好みすることによって迷いは一層深くなります。 平生の日暮らしの中で、自分にとって都合のいいことも悪いこともあります。前者を陽、後者を陰とすれば、世間から置き去りにされて取り残されたような気分となった私は、陰に心を留めていたのでした。
 詩人の高田敏子さんに、「樹の心」という作品があります。

花の季節を愛でられて
花を散らしたあとは
忘れられている さくら

忘れられて
静かに過ごす樹の心を
学ばなければならない

忘れられているときが
自分を見つめ 充実させるときであることを 樹は知っている

 さくらの花びらがハラハラとはかなく散るその光景は、花見のあとの寂しさを一層漂わせます。そして、つぼみが再び膨らみ始める日まで世間から忘れられるさくらは、一見すると老木のように見えます。
 しかし、そうではなかったのです。さくらは人から愛でられても忘れられても、陽にも陰にも留まることなく、自分を見つめ、充実させていたのでした。
 陽に心を留めれば奢りとなり、さりとて陰に心を留めれば負い目となります。注目されても奢ることなく、忘れられても負い目を感じることのないさくらは、自分を見つめて充実させて、再び花を咲かせる準備をしていたのです。花の季節だけではなく、人々から置き去りにされても腐ることなく、さくらはいつでも私たちに好風光を届けてくれるのでした。
 どんな環境にあっても心を留めないさくらの「樹の心」は、陰に心を留めていた私の心をそっとほどいてくれました。
 陽にも陰にも留まらないさくらが、来春に見事な花を咲かせるように、私たちも人生の陰陽に留まることなく、自分を見つめて充実させて花を咲かせたいものです。