法 話

白隠禅師のこころシリーズ〔1〕 「心の草取り」
書き下ろし

静岡県 ・実相寺住職  巨島信慶

 臨済宗中興の祖と称された白隠禅師の著書に「草取唄(くさとりうた)」という道歌集があります。当時の文字が読めない人々にも禅をわかりやすく口伝えするために作られたのでありましょう。軽妙な唄の中に禅の教えが易しく書かれています。草取唄は今この時を一心に生きることの尊さ、そして人の行ないはそのまま仏道であり、その人自身が仏さまだ、と教えてくれます。

つねに心をとり離しやるな、(中略)坐禅しぶりに胸焦がしやるな、とらずもとめず 坐禅をしやれ

(意訳)何事にも一心に取り組もう。坐禅を渋りあれこれと思い煩いなさるな。様々な思いや欲にとらわれず一心に取り組みなさい。

rengo1506.jpg ここでいう坐禅とは、禅の修行の坐禅ばかりを指すのではありません。人それぞれに仕事や環境は違うでしょうが、一心不乱に目の前のことに取り組む、その真剣な行ないそのものが坐禅をしているのと同じなのだというのです。 「とらず もとめず 坐禅をしやれ」とあります。私たちの心は思い込みや欲望などに振り回されやすいものです。さらにそれが正しい見方や正しい行ないを妨げます。これは言ってみれば心の雑草なのです。心が雑草だらけになれば、心の庭にもともと咲いているきれいな花も見えなくなります。ですから草取唄では欲や不満、愚かな言動などの心の雑草を抜いて、一心に自分の行ないに取り組み、本来の自分(自分が仏であること)に立ち返ることを勧めるのです。

 松下電器産業の創始者・松下幸之助さんのお話です。まだ松下さんの会社が小さな電球を少しずつ作っていたころ、ある工員に松下さんが聞きました。「仕事は楽しいかね」。するとその工員は、「毎日電球を磨く退屈な仕事です」。と下を向きました。そこで松下さんはこう励ましたのです。「君の仕事は素晴らしい仕事や。君の磨いた電球のおかげで夜でも子供たちが勉強できる。あんたの磨いているのは電球やない。子供の夢を磨いているんや。電球が夜暗い道を照らせば、人は安心して夜道を歩ける。あんたは物を作ってるんやなくてその先にある笑顔を作ってるんや」。

 人と比べ自分のほうが恵まれていないのではと、つい不満になるのが私たち人間の悪い癖です。それが正しい見方や行ないを妨げ、もともと自分が持っている良いものも見えなくなるものです。心に雑草が増えると心の庭のきれいな花も見えなくなるのです。そこでこの草取唄の「とらず もとめず 坐禅をしやれ」の通り、欲や不満、愚かな言動など、心に生えた雑草を抜いてみましょう。そして一心不乱に物事に取り組むとき、その行ないはそのまま仏道であり、その姿は仏さまなのです。さらにその目で周りを見回してみると、私たちは実にたくさんの仏さまに支えられて生きているのだと、思わず手を合わせずにいられなくなることと思います。どうか心の雑草を取り、すがすがしい皆さま自身の本来の姿、仏さまの姿を見つめていただきたいと思います。