法 話

看よ看よ臘月尽く
書き下ろし

岡山県 ・地蔵院住職  三宅泰慶

 月日の経つのは速いもので、もう師走となりました。
この時期にぴったりの「看よ看よ臘(ろう)月尽く」という禅語があります。臘月とは、12月のことで「今年もあっという間に過ぎ去ってしまうぞ」という意味です。それどころか、グズグズしていると、自分の一生も尽きてしまうことでしょう。

 "譬喩経(ひゆきょう)"という経典の中に「黒白二鼠(こくびゃくにそ)」というお話があります。
 一人の旅人が、広い荒野で恐ろしい象に出くわしました。逃げ隠れする場所も無く、幸いにも古い井戸を見つけると、木の根っこが蔓(つる)となって下がっていました。それを伝って井戸の中に降りていくと、井戸の底には大きな龍が口をあけて待ちかまえているのが見えました。おどろいてあたりを見ると、そこにも4匹の毒蛇がいて、旅人をねらっています。命綱は、この一本のつるしかありません。ところが、そのつるも、黒白のネズミが交代でその根をかじっているではありませんか。まさに絶体絶命、もはやこれまでかと思ったその時、ふと顔をあげると木の上の蜂の巣から甘い蜜がポタリポタリと旅人の口へ滴り落ちてきました。すると旅人は、死の恐怖も忘れて、蜜を貪り続けました。

 荒野とは、迷いの多いこの人生。旅人とは、私たち自身。恐ろしい象とは、無常の風であり、流れる時間です。井戸とは、生死つまり生き死にです。木の根とは、寿命です。底にうごめく龍は、死の恐怖です。4匹の毒蛇は、私たちの体を構成する4つの元素(地水火風)です。黒白のネズミとは、刻々と繰り返す夜と昼です。したたり落ちてくる密とは、色声香味触の五感に執着しておこる五欲です。

rengo1512b.jpg 私事ではありますが、今年、私は親の歳を越えました。私の父は満49歳で亡くなりましたが、父の命日を迎えた時、3ヶ月ほどですが父の年齢を越えていることに気が付いたのです。すると、この一日一日が、とても大切な一日に思えます。何気なく見上げる空の景色も周りの人の声や物音、風や草の匂いまで、とても愛しく感じるようになりました。

 誰の言葉でしたか、「あなたが無駄に過ごした今日一日は、昨日死んだ人が生きたいと切実に願った一日」という言葉を思い出しました。
 まさしく、私が無駄に過ごした今日という日が父にとっては、生きたいと切実に願った一日でした。

待ったなし やり直しなしに 木葉散る

という句(出典未詳)がありますが、私たちの人生は、まさに待ったなし、やり直しなしに過ぎていってしまいます。どうか皆様、ご用心くださいませ。