法 話

聖一国師のおことば
書き下ろし

岡山県 ・報恩寺住職  芦田正憲

 「それ坐禅の宗門とは大解脱の道なり」とは東福寺開山聖一国師法語の初頭のおことばです。人は誰でも平素意識せずとも心の奥底に悩み煩う因子を蔵しもっていると云われています。これを凡夫と言い慣わします。また一方、人は佛(覚れる者)に成れるすばらしい種子を持ち合わせて生まれて来ているのです。
 「解」とは縛られた状態から解き放たれること。「脱」とは押し込められた状態から遁れることで、いずれも自由になることです。
 煩らわしく悩める心から大きく解放されて自由自在の心境に通じる道が坐禅の宗門であり、この道を信じて行ずることが人生の仕合わせの第一歩であると示されたのです。
とはいえ、真正の坐禅に親しむことはなかなか根気がいることでもあります。ひとりで取り組むとなると初心者には難事と思われます。
 さいわい「あなたの町のお寺さん」では定例の坐禅会を開いておられる和尚さんがおられることです。坐禅は安楽の法門ともいわれ、決して難行苦行ではありません。お気軽に参加して、程よく指導を受けてください。
 聖一国師は法語の中で、この坐禅の法門を一度耳にしただけでも真理を明らかに知るための勝れたご縁となり、まして、これを行なうならば迷いも悟りも超越した仏心に至ることができると話しておられます。続いて国師は、まだ仏心の道が得られないなどと思わず「一時坐禅すれば一時の仏、一日坐禅すれば一日の仏、一生坐禅すれば一生の仏」と信じて日常生活を送る人は大機根の人であると親切に称賛せられております。
 この教えに素直に従ってみてはいかがでしょうか。何ごとにも「無心」に対処できる智慧が開け、いかなる憂事にも慌てふためく乱れごころにさいなむことから解放されることと思います。