法 話

わだかまりのない心で
書き下ろし

京都府 ・興雲庵住職  坂井田泰仙

rengo1206.jpg 金澤翔子さんという書家をご存知でしょうか。近年、マスコミ等でも多く取り上げられている方です。彼女は現在27歳。ダウン症というハンデを抱えながらも幼い頃よりお母様に書道の手ほどきを受けられ、書家として活躍をされています。小柄な彼女ですが、ひとたび筆を持たれますと驚くほど力強く、躍動感に溢れた作品を書かれます。建仁寺にも3年前に「風神雷神」の書を奉納して下さり、そのご縁で毎年個展を開いて頂いています。
 そんな翔子さんの作品の中に般若心経の一節「心無罣礙(しんむけげ)」から取った「無罣礙」という書があります。「罣礙」は「さえぎる、さまたげる」という意味ですから、「心に罣礙が無い」とは「心にわだかまりが一切ない」という境地をさします。彼女はまさしくそんなお心を持った方です。どの作品を見ても、線に一切の迷いや雑念はなく、自由で大らかに書き上げられています。また彼女は誰に対しても分け隔てなく慈愛に満ちた笑顔で接しておられ、その屈託のない笑顔には何のわだかまりもない清浄な仏の心が表われているかのようです。
 それに対して、日常の私たちの心はどうでしょうか。いつの間にか自己の中に芽生えた「自我」によって、あらゆるものを偏見で判断してはいないでしょうか。この偏見の事を「分別心(ふんべつしん)」といいます。これによって私たちは「好き・嫌い」「可愛い・憎い」などの二元対立の心を持ち、知らず知らずのうちに物事を選り好みしているのです。この「分別」という言葉は一般的には「物事の是非、道理をわきまえる」といったよい意味で使われていますが、仏教においては迷いや苦しみを生み出す原因とされているのです。
 現代社会においては人間関係での悩みを持たれている方も多いと思いますが、これも自らの分別心により人を判断し、優劣をつけてしまっていることが原因です。
 江戸時代の禅僧である良寛禅師は

いかなるが苦しきものと問うならば、人を隔(へだ)つる心と答えよ

という詩を残されています。「どのような事がつらいものであるかと人に聞かれたら、人を分け隔てて遠ざける心であると答えなさい」という意味です。とにかく人を差別することなく、心を一つにもって選り好みをしない事が肝要であり、それが良い人間関係をつくっていく上での基本となるのです。
 私たちは日々の中で次々と生まれてくるこの分別心をできるだけ取り去り、物事をありのままに受け入れていく事ができれば、人間誰しもが本来持っている清浄でわだかまりのない心を取り戻すことができるのです。そしてこれによって毎日心穏やかに過ごすことができ、人生がより豊かなものになってくるはずです。皆さんも建仁寺にお越しいただき、翔子さんの清浄な心が溢れた書を是非ご覧ください。